構成:DVD1枚、価格2100円
第15回:仏教(無我の教え2)
仏陀は"自己(アートマン)の存在"を否定している。これは、"自己は存在しない"と言っているのではない。仏陀は、弟子を悟りへ導く非常に優秀な教師だった。彼は、弟子が苦から脱出するためには無用な、形而上学的な議論に陥るのを避けるために、この種の質問には返答をしなかった。
仏陀は五蘊(ごうん、スカンダ:色受想行識)という人間存在の構成要素を無常と喝破し、自己ではないと退けた。そこに解脱に至るための方法論があるのだが、それを後世の仏教徒は人間の構成要素が無常なら、恒常の自己は存在しないと、誤った拡大解釈をしてしまった。
仏典「サンユッタ・ニカーヤ」に記されている仏陀とカッチャーヤナの対話に、仏陀が自己の存在についてどのように認識していたかを知るための決定的な言葉が残っている。
(講演を元に編集:文責ユニティ・デザイン)
第16回:仏教(無我の教え2)
仏陀は自己や自性、宇宙などの形而上学的概念について語らなかった。それは弟子に苦しみから逃れることに役立たない無意味な議論に陥らないため、ということもあったろうが、仏陀が沈黙した理由は別の所にあると思う。
自己(アートマン)は非顕現で絶対に現れないし、言語で語ることもできない。しかしラマナ・マハリシは次のように言っている。「マウナ(沈黙)はイシュワラ・スヴァルーパ(神の自己)である。」と。
自己の直接の現れである沈黙は表現することが出来るのである。
最高の悟りを実現した聖者には「自己(アートマン)」は沈黙として現れる。従って、ラマナ・マハリシや仏陀は、弟子の質問に対してその回答を「沈黙」をもって示したと考えられるのである。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)
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