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竹下雅敏 宗教学講座DVD



商品記号
宗教学講座DVD 初級コース
仕様
価格(税込)
DVD_sk-a0102 第1回:受講に当たって
第2回:意識の進化と界層(シリウスシステム)
50分
63分
1枚
2100円
DVD_sk-a0304 第3回:意識の進化と界層(モナドの進化)
第4回:意識の進化と界層(神階)
55分
58分
1枚
2100円
DVD_sk-a0506 第5回:意識の進化と界層(解脱)
第6回:意識の進化と界層(ニルヴィカルパ・サマーディ)
58分
50分
1枚
2100円
DVD_sk-a0708 第7回:意識の進化と界層(ウパニシャッドの哲理1)
第8回:意識の進化と界層(ウパニシャッドの哲理2)
56分
58分
1枚
2100円
DVD_sk-a0910 第9回:意識の進化と界層(5つの鞘と3身体)
第10回:意識の進化と界層(総括)
53分
60分
1枚
2100円
DVD_sk-a1112 第11回:自己と世界(1)
第12回:自己と世界(2)
59分
47分
1枚
2100円
DVD_sk-a1314 第13回:仏教(基本教義)
第14回:仏教(仏教の独自性)
68分
62分
1枚
2100円
DVD_sk-a1516 第15回:仏教(無我の教え1)
第16回:仏教(無我の教え2)
57分
70分
1枚
2100円
DVD_sk-a1718 第17回:仏教(九次第定)
第18回:仏教(五蘊)
57分
70分
1枚
2100円
DVD_sk-a1920 第19回:仏教(十二因縁説1)
第20回:仏教(十二因縁説2)
63分
55分
1枚
2100円
DVD_sk-a2122 第21回:仏教(十二因縁説3)
第22回:仏教(十二行相縁起)
68分
60分
1枚
2100円
DVD_sk-a2324 第23回:サーンキヤ哲学(自己と自性)
第24回:サーンキヤ哲学(25原理)
62分
60分
1枚
2100円
DVD_sk-a2526 第25回:サーンキヤ哲学(微細身)
第26回:サーンキヤ哲学(解脱)
59分
65分
1枚
2100円
DVD_sk-a2728 第27回:ヨーガ・スートラ(I 1〜16)
第28回:ヨーガ・スートラ(I 17〜40)
49分
71分
1枚
2100円
DVD_sk-a2930 第29回:ヨーガ・スートラ(I 41〜51)
第30回:ヨーガ・スートラ(総論1)
58分
75分
1枚
2100円
DVD_sk-a3132 第31回:ヨーガ・スートラ(総論2
第32回:ヨーガ・スートラ(有想三昧)
70分
60分
1枚
2100円
DVD_sk-a3334 第33回:ヨーガ・スートラ(有種子三昧)
第34回:ヨーガ・スートラ(無想・無種子三昧)
70分
74分
1枚
2100円
DVD_sk-a3536 第35回:シッダへの道(概論)
第36回:シッダへの道(有尋定)
74分
75分
1枚
2100円
DVD_sk-a3738 第37回:シッダへの道(無尋定・有伺定)
第38回:シッダへの道(無伺定)
54分
66分
1枚
2100円
DVD_sk-a3940 第39回:ヒンドゥー教(マヌ法典:ヴァルナ体制)
第40回:ヒンドゥー教(
マヌ法典:四住期)
52分
61分
1枚
2100円
DVD_sk-a4142 第41回:ヒンドゥー教(マヌ法典:行為の準則)
第42回:ヒンドゥー教(マヌ法典:婚姻と刑罰)
55分
51分
1枚
2100円
DVD_sk-a4344 第43回:ヒンドゥー教(マヌ法典:サティー)
第44回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:概略)
49分
47分
1枚
2100円
DVD_sk-a4546 第45回:ヒンドゥー教
(バガヴァッド・ギーター:ギーターの年代)
第46回:ヒンドゥー教
(バガヴァッド・ギーター:第二章〜第三章)
53分
77分
1枚
2100円
DVD_sk-a4748 第47回:ヒンドゥー教
(バガヴァッド・ギーター:第四章〜第六章)
第48回:ヒンドゥー教
(バガヴァッド・ギーター:第七章〜第九章)
62分
62分
1枚
2100円
DVD_sk-a4950 第49回:ヒンドゥー教
(バガヴァッド・ギーター:第十章〜第十二章)
第50回:ヒンドゥー教
(バガヴァッド・ギーター:第十三章〜第十五章)
75分
70分
1枚
2100円
DVD_sk-a5152 第51回:ヒンドゥー教
(バガヴァッド・ギーター:第十六章〜第十八章)
第52回:ヒンドゥー教(ヒンドゥー教の成立と特徴)
61分
73分
1枚
2100円
DVD_sk-a5354 第53回:ヒンドゥー教(カルマ・ヨーガ)
第54回:ヒンドゥー教(バクティ・ヨーガ1)
73分
80分
1枚
2100円
DVD_sk-a5556 第55回:ヒンドゥー教(バクティ・ヨーガ2)
第56回:ヒンドゥー教(バクティ・ヨーガ3)
80分
76分
1枚
2100円
DVD_sk-a5758 第57回:ヒンドゥー教(バクティ・ヨーガ4)
第58回:大乗仏教(輪廻思想)

106分
73分
1枚
2100円
DVD_sk-a5960 第59回:大乗仏教(仏教の新たな展開)
第60回:大乗仏教(六波羅蜜)
71分
68分
1枚
2100円
DVD_sk-a6162 第61回:大乗仏教(無量寿経1)
第62回:大乗仏教(無量寿経2)
65分
53分
1枚
2100円
DVD_sk-a6364 第63回:大乗仏教(説一切有部:五位七十五法)
第64回:大乗仏教(説一切有部:永遠の本体)
80分
72分
1枚
2100円
DVD_sk-a6566 第65回:大乗仏教(説一切有部:総論)
第66回:大乗仏教(仏教における言葉と沈黙)
86分
60分
1枚
2100円
DVD_sk-a6768 第67回:大乗仏教(金剛般若経:即非)
第68回:大乗仏教(金剛般若経:功徳)
62分
76分
1枚
2100円
DVD_sk-a6970 第69回:大乗仏教(金剛般若経:論理の三原則)
第70回:大乗仏教(八千頌般若経:ものの真相)
90分
75分
1枚
2100円
DVD_sk-a7172 第71回:大乗仏教(八千頌般若経:菩薩の教説)
第72回:大乗仏教(八千頌般若経:大乗の悟り)
83分
88分
1枚
2100円
DVD_sk-a7374 第73回:大乗仏教(八千頌般若経:総論)
第74回:大乗仏教(中論:帰敬偈)
88分
76分
1枚
2100円
DVD_sk-a7576 第75回:大乗仏教(中論:自性)
第76回:大乗仏教(中論:空と縁起)
76分
65分
1枚
2100円
DVD_sk-a7778 第77回:大乗仏教(中論:詭弁論法)
第78回:大乗仏教(中論:相依性の縁起)
77分
86分
1枚
2100円
DVD_sk-a7980 第79回:大乗仏教(中論:区別の哲学)
第80回:大乗仏教(中論:意識・心・物)
98分
81分
1枚
2100円
DVD_sk-a8182 第81回:大乗仏教(中論:最高の真実)
第82回:大乗仏教(中論:本体と現象)
86分
78分
1枚
2100円
DVD_sk-a8384 第83回:大乗仏教(中論:原因と結果)
第84回:大乗仏教(中論:行くものは行かず)
88分
85分
1枚
2100円
DVD_sk-a8586 第85回:大乗仏教(中論:四句否定)
第86回:大乗仏教(中論:ナーガルジュナの宗教)
77分
85分
1枚
2100円
DVD_sk-a8788 第87回:大乗仏教(中観と空:背理法)
第88回:大乗仏教(中観と空:認識論)
76分
70分
1枚
2100円
DVD_sk-a8990 第89回:大乗仏教(中観と空:光り輝く心)
第90回:大乗仏教(中観と空:ヨーガの階梯)
85分
77分
1枚
2100円
DVD_sk-a9192 第91回:大乗仏教(般若心経:条件づけ)
第92回:大乗仏教(般若心経:気付き)
84分
106分
1枚
2100円
DVD_sk-a9394 第93回:大乗仏教(般若心経:対岸の「知」)
第94回:大乗仏教(般若心経:全文訳)
89分
76分
1枚
2100円
DVD_sk-a9596 第95回:大乗仏教(般若心経:有部と龍樹)
第96回:大乗仏教(般若心経:全文訳2)
92分
90分
1枚
2100円
DVD_sk-a9798 第97回:大乗仏教(般若心経:尾題)
第98回:大乗仏教(般若心経:羯諦咒)
68分
87分
1枚
2100円
DVD_sk-a99100 第99回:大乗仏教(般若心経:自性空)
第100回:大乗仏教(般若心経:般若心経のマントラ)
80分
80分
1枚
2100円
DVD_sk-a101102 第101回:大乗仏教(唯識説:識の変化)
第102回:大乗仏教(唯識説:数々の矛盾)
80分
88分
1枚
2100円
DVD_sk-a103104 第103回:大乗仏教(唯識説:輪廻の主体)
第104回:大乗仏教(唯識説:四分説)
73分
67分
1枚
2100円
DVD_sk-a105106 第105回:大乗仏教(唯識説:三性論)
第106回:大乗仏教(唯識説:仏の四智)
75分
86分
1枚
2100円
DVD_sk-a107108 第107回:大乗仏教(唯識説:中辺分別論)
第108回:大乗仏教(如来蔵思想)
87分
85分
1枚
2100円
DVD_sk-a109110 第109回:大乗仏教(如来蔵思想は仏教ではない)
第110回:大乗仏教(本覚思想)
81分
85分
1枚
2100円
DVD_sk-a111112 第111回:大乗仏教(禅:臨済録)
第112回:大乗仏教(禅:禅の思想
82分
91分
1枚
2100円
DVD_sk-a113114 第113回:密教(密教の伝播)
第114回:密教(梵我一如)
80分
99分
1枚
2100円
DVD_sk-a115116 第115回:密教(四度加行)
第116回:密教(胎蔵曼荼羅)
79分
81分
1枚
2100円
DVD_sk-a117118 第117回:密教(金剛界曼荼羅)
第118回:密教(両界曼荼羅)
69分
97分
1枚
2100円
DVD_sk-a119120 第119回:密教(金胎不二)〜数学的観点から見たもの〜
第120回:密教(宗教の混沌)
80分
95分
1枚
2100円
DVD_sk-a121122 第121回:不二一元論(流出論)
第122回:不二一元論(梵我一如)
【新発売:2011/10/17】
76分
91分
1枚
2100円


商品記号
宗教学講座DVD 番外編
仕様
価格(税込)
DVD_sk-x-dv0102 ダ・ヴィンチ・コードの真相 第1回:聖婚[前半]
ダ・ヴィンチ・コードの真相 第2回:聖婚[後半]
53分
78分
1枚
2100円
DVD_sk-x-dv0304 ダ・ヴィンチ・コードの真相 第3回:聖杯伝説[前半]
ダ・ヴィンチ・コードの真相 第4回:聖杯伝説[後半]
60分
64分
1枚
2100円




お申し込みは、下記商品記号と数量を、メール、FAX、等でお知らせ下さい。

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商品記号:DVD_sk-a121122 /数量:  枚【新発売:2011/10/17】

商品記号:DVD_sk-x-dv0102(ダヴィンチコードの真相:第1回第2回) /数量:  枚
商品記号:DVD_sk-x-dv0304(ダヴィンチコードの真相:第3回第4回) /数量:  枚







初級コース


【1枚目】[商品記号:sk-a0102]
 第1回:受講に当たって
 第2回:意識の進化と界層(シリウスシステム)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第1回:受講に当たって

 講座の目的と参考書籍の紹介。

第2回:意識の進化と界層(シリウスシステム)

 シリウスハイアラーキー、太陽系ハイアラーキー、地球ハイアラーキーとホツマの神々、エジプト神話のの神々、インドの神々がいる界層について。 古代から近代に時代が下がるにつれ、崇拝する対象の神も変わっていった。現在は・・・。




【2枚目】[商品記号:sk-a0304]
 第3回:意識の進化と界層(モナドの進化)
 第4回:意識の進化と界層(神階)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第3回:意識の進化と界層(モナドの進化)

 「位階」とは意識の進化の段階ことで、それを表す用語は「進化段階」。
それよりも重要なのは、「モナド(真我)の進化」。
シリウスレベル、太陽系レベル等はモナドの進化のこと。
モナドの進化段階に加え更に、ホツマの神は君・臣・民の3段階、ハイアラキーは如来・菩薩・明王の3段階に分かれる。


第4回:意識の進化と界層(神階)

 神階とは潜在意識の焦点のある界層で、そこでホツマの神、ハイアラーキー、人間が分れる。また解脱の本来の意味は、「肉体をもって転生してこなくていい存在になること」だが、それを決めるのは、・・・。

注釈)「幽界」とは色界(アストラル界)のこと。
「存在界層」とは、現時点で身体をもって存在している界層のこと。

講義の中で話のあった「東洋医学セミナー」はこちら




【3枚目】[商品記号:sk-a0506]
 第5回:意識の進化と界層(解脱)
 第6回:意識の進化と界層(ニルヴィカルパ・サマーディ)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第5回:意識の進化と界層(解脱)

 インドの聖典には、「梵我一如」すなわち「ブラフマン(神)とアートマン(自己)は一つであり、不滅のブラフマンやアートマンを悟ることで肉体への転生から解放され解脱する」と伝えられている。
 例えば、賢者ヤージニャヴァルキヤとウッダーラカ・アールニは共に解脱者であるが、彼らの到達した意識の境地は、各々ブラフマンの悟りとアートマンの悟りであり、明確に異なっていることを理解して欲しい。
 そして、なぜこれらの悟りで解脱できるのか、哲学的解釈を超えて、科学的視点から説明する。

注)ブラフマーはブラフマンを人格化した男神のこと。

第6回:意識の進化と界層(ニルヴィカルパ・サマーディ)

 近代インドに二人の偉大な聖者が現れた。一人はラマナ・マハリシ、もう一人はラーマクリシュナである。 この二人はいずれも解脱者であるが、その悟りのレベルは、サハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディ(無種子三昧)とケヴァラ・ニルヴィカルパ・サマーディ(無相三昧)と異なっている。この違いによって、一方はブーヴァ・ローカ(色界)の存在(如来)となり一方はブー・ローカ(欲界)の存在(菩薩)にとどまる。
 また、パラマハンサ・ヨガナンダの体験した宇宙意識は、・・・。





【4枚目】[商品記号:sk-a0708]
 第7回:意識の進化と界層(ウパニシャッドの哲理1)
 第8回:意識の進化と界層(ウパニシャッドの哲理2)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第7回:意識の進化と界層(ウパニシャッドの哲理1)

 ウパニシャッド[奥義書]は、聖仙といわれる人たちが直感によって直接神から聞き取った言葉を綴ったものであり、そこには誤りはないと信じられている。しかし、研究者によれば、その内容には明らかに一貫性がなく、相互に矛盾しているところが見られるという。
 今回と次回でウパニシャッドに含まれる大きな流れと問題点、正確な意味ではこうでないといけないというところをざっと見ていく。 その中には、聞いたことはないかもしれない、一元論、二元論、不二一元論、マーヤー説、シャンカラ哲学、サーンキヤ哲学などの言葉も現れる。

注釈) ウパニシャッドは、サンスクリット語で書かれた、一般には「奥義書」と訳される約200以上ある一連の書物の総称である。各ウパニシャッドは仏教以前のものから、16世紀に作られたものまで、成立時期はまちまちである。 紀元前800年から紀元前200年にかけて成立した古ウパニシャッドはバラモン教の教典ヴェーダの最後の部分に属し、ヴェーダーンタとも言われる。 古ウパニシャッドの初期にヤージュニャヴァルキヤの教えが含まれる。

注)ブラフマーはブラフマンを人格化した男神のこと。

第8回:意識の進化と界層(ウパニシャッドの哲理2)

 どうしたら解脱できるか?
  ウパニシャッドの解答の一つは、「輪廻の原動力はカルマ(業)であり、善業も悪業も含め、全てのカルマが無くなれば解脱する」というものである。また「解脱者は善悪を超越しており、いっさいの悪をなすことはない」とも書かれている。 これらが事実であるかどうか、講義を聴いて判断して欲しい。

「ヤマ・ニヤマ(禁戒・勧戒)」についてはこちら
「チャクラと波動」についてはこちら

注)この映像の収録日時2009年7月23日午後2時30分頃〜午後4時頃です。





【5枚目】[商品記号:sk-a0910]
 第9回:意識の進化と界層(5つの鞘と3身体)
 第10回:意識の進化と界層(総括)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第9回:意識の進化と界層(5つの鞘と3身体)

 ウパニシャッドに、人間は5重の体(鞘、コーシャ)に包まれているという記述がある。
  5. アナンダマヤ・コーシャ(歓喜鞘:コーザル体)
  4. ギャナマヤ・コーシャ (理智鞘:メンタル体。理智・知性)
  3. マノマヤ・コーシャ  (意思鞘:アストラル体。意思・心)
  2. プラナヤマ・コーシャ (生気鞘:エーテル体。生気)
  1. アンナマヤ・コーシャ (食物鞘:肉体。食物・物質)

更にこれらの組み合わせによる3身体の理論がある。
  カーラナ・シャリーラ  (原因体)
  スークシュマ・シャリーラ(微細体)
  ストゥーラ・シャリーラ (粗大体、粗雑体)

これらの身体の名前は基本なので憶えて欲しい。
身体と進化段階と解脱の3つの関係が、「分解する身体」という概念を導入することで整然と理解される。今回十分に説明できない部分については、次回の第10回総括で説明を加える。
また、インドの「解脱」の概念には、ヴィムクティとヴィモークシャの2通りがあり、また、仏教の「解脱」には、慧解脱、ュム解脱、心解脱、身解脱など様々な概念があるが、これらの違いについても解説する。

第10回:意識の進化と界層(総括)

 高い界層の存在も、その存在階層には一番外側の身体である「肉体」を持っている。そして「霊律」から完全に自由ということはなく、過ちを犯すと意識の界層を落としてしまう場合がある。従って、究極の意味では「解脱」はないといえるかもしれない。
今回で「意識の進化と界層」については終わり、次回以降、仏教を説明する準備に入る。




【6枚目】[商品記号:sk-a1112]
 第11回:自己と世界(1)
 第12回:自己と世界(2)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第11回:自己と世界(1)

 自己、意識、世界(物質)。これらのうちどれが真の実在なのか?
古代インド哲学の一元論、二元論、サーンキヤ哲学、大乗仏教の唯識説、近代に至ってはデカルトの物心二元論、現代科学の唯物論など、様々な哲学の流派があるが決着がついていない。また、日本の代表的な哲学者である西田幾多郎は、一切の思慮分別を加えない純粋経験の主体である「知識」が唯一の実在で、物質世界や自己というものは存在しないという。
 存在を認めないが故に矛盾を解決できないでいるよりも、自己(アートマン)、意識、物質世界の3つの存在を認めて、それらの相互関係を調べるのが科学的なのではないだろうか。
 仏陀が「無我」を説き、自己(アートマン)の存在を認めないその真意をつかむために、今回と次回の2回で「自己」の存在の有無について考察を進めていく。

第11回:自己と世界(2)

 我々が「私」という言葉を使うとき、それは「自己」「心」「身体」の3つのどれかをさしている。この「自己」が認識する主体であり、有名な言葉《に非ず、に非ず》としか表現できない実在である。
デカルトは存在を「精神的実在(心)」と「物質的実在」の2つに分ける二元論をとなえた。しかしこれらの中をいくら探しても「自己」は見つからない。
東洋の哲学は西洋哲学よりずっと深い。




【7枚目】[商品記号:sk-a1314]
 第13回:仏教(基本教義)
 第14回:仏教(仏教の独自性)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第13回:仏教(基本教義)

 仏教には難しい問題がある。それは『仏陀が悟ったのは何なのか』が分からないということだ。間違いなくブッダの教えであるという核の部分は、1)縁起、2)四諦(四聖諦)、3)八正道、および、中道の教えといえる。この核の部分でも、のちになされた解釈をみると、これはおかしいのではないか?というところが散見される。
この講座の目的は、仏教の正しい解釈についての私(講師:竹下氏)の見解を伝えることにあるが、今回はそれに至るまでに仏教の基本教義の一般論を見ていく。

第14回:仏教(仏教の独自性)

 今回は、仏教が、当時インドで広く信仰されていたバラモン教の宗教観からどれほど逸脱し、独創的であったかについて説明する。
 バラモン教の世界では、神々への祈願や犠牲供養、祭祀を行い、功徳を積むことで天国に生まれ変わることを望んでいた。そして死を恐れなかった。彼らが恐れたのは「再死」であり、天国で死んで、再び苦しみの多い地上に転生してくることを恐れた。そのため解脱を果たし転生しなくていい境地を獲得することを目指して修行をしたが、ままならなかった。
そのような状況の中で、仏陀(ゴータマ・シッダールタ)が「自分は解脱をした」と宣言し、解脱への道を説いた。

注)バラモン教
古代のヴェーダの宗教とほぼ同一の意味で、古代ヒンドゥー教と理解してもよい。
バラモンとは司祭階級のことで、バラモンは祭祀を通じて神々と関わる特別な権限を持っていた。カースト制の一番上位の階級である。




【8枚目】[商品記号:sk-a1516]
 第15回:仏教(無我の教え1)
 第16回:仏教(無我の教え2)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第15回:仏教(無我の教え2)

 仏陀は"自己(アートマン)の存在"を否定している。これは、"自己は存在しない"と言っているのではない。仏陀は、弟子を悟りへ導く非常に優秀な教師だった。彼は、弟子が苦から脱出するためには無用な、形而上学的な議論に陥るのを避けるために、この種の質問には返答をしなかった。
 仏陀は五蘊(ごうん、スカンダ:色受想行識)という人間存在の構成要素を無常と喝破し、自己ではないと退けた。そこに解脱に至るための方法論があるのだが、それを後世の仏教徒は人間の構成要素が無常なら、恒常の自己は存在しないと、誤った拡大解釈をしてしまった。
 仏典「サンユッタ・ニカーヤ」に記されている仏陀とカッチャーヤナの対話に、仏陀が自己の存在についてどのように認識していたかを知るための決定的な言葉が残っている。
(講演を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第16回:仏教(無我の教え2)

 仏陀は自己や自性、宇宙などの形而上学的概念について語らなかった。それは弟子に苦しみから逃れることに役立たない無意味な議論に陥らないため、ということもあったろうが、仏陀が沈黙した理由は別の所にあると思う。
 自己(アートマン)は非顕現で絶対に現れないし、言語で語ることもできない。しかしラマナ・マハリシは次のように言っている。「マウナ(沈黙)はイシュワラ・スヴァルーパ(神の自己)である。」と。
 自己の直接の現れである沈黙は表現することが出来るのである。
 最高の悟りを実現した聖者には「自己(アートマン)」は沈黙として現れる。従って、ラマナ・マハリシや仏陀は、弟子の質問に対してその回答を「沈黙」をもって示したと考えられるのである。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)





【9枚目】[商品記号:sk-a1718]
 第17回:仏教(九次第定)
 第18回:仏教(五蘊)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第17回:仏教(九次第定)

 仏陀が二度と生まれ変わらないことすなわち解脱を望んで修行をし、そこに到達したということは事実であると考えられる。
 一方、仏陀は人類史上はじめて解脱に到達した人物であるという説があるが、古ウパニシャッドには、ブラフマンの悟り、アートマンの悟りを得た哲人の記録があり、仏陀以前にも解脱に到達した人たちがいるのは明らかである。仏陀が高く評価されている理由は、ウパニシャッドの哲人がブラフマン、アートマンを発見した喜びを詩的に表現したのに対し、仏陀は涅槃に到達したことを宣言し、そして解脱に至る道を非常に論理的に説いたためであろう。
 仏教に九次第定(くしだいじょう)という9段階の禅定がある。そのなかで最も高い禅定である『(滅尽定)』に仏陀は苦行の末に到達した。この滅尽定の界層がどこであるかと知ると、これらのことを説明できる。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)
 
注)禅定(ぜんじょう)
真理を瞑想すること。また、それによって心身が静まった状態。


第18回:仏教(五蘊)

 「【五蘊】色受想行識」は我(アートマン)ではないという教えがあるが、重要な内容でありながら、ほとんど誰も正しく理解していないものの一つである。
 五蘊の「色(肉体)」は物質的存在という意味であり、他の「受想行識」は心・精神である。受→感覚、想→思考、行→意思、識→意識と訳されているが、簡単にいうとこれは翻訳としては良い言葉ではない。
以前五つの身体ということを話した。
 コーザル体(原因体)、メンタル体(理智鞘)、アストラル体(意思鞘)、エーテル体、肉体。
 これらは単に身体である。例えて話すなら、科学者は人間には身体があって心は脳の働きという。実を言うとヨーガの世界はものすごく科学者的な発想で、肉体レベルの心は脳の働きと考える。同じようにアストラル体の心、メンタル体の心がある。そして、コーザル体の心はハートとしての心。・・・・・・
「無明」というのは、「心素」の働きのこと。過去に記録されているものが無自覚に延々と繰り返され、似たものを送り返し、経験されたものが記録される、この果てしない流れ、これを「無明」という。心臓の中心に収まっている白いところ(心素球)が絶えず永遠に動き続けているこれの流れのことを無明と言っている。もっと中心にある真我については全く触れていない。この真我を悟ることによって、ぎょうの動きを止滅させようというのがヨーガである。真我を悟ることによって、もっと高い波動、ここに気づくことによってぎょうを滅ぼそうと。・・・・

 次回は十二縁起を説明するので、今回は、その準備として無明や行とは何なのかということを説明している。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)





【10枚目】[商品記号:sk-a1920]
 第19回:仏教(十二因縁説1)
 第20回:仏教(十二因縁説2)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第19回:仏教(十二因縁説1)

 今回は、仏教の重要な教義である十二因縁説(十二支縁起説)について説明する。  まず、仏陀の教えの根幹である四聖諦の中の集諦の教えでは、妄執(渇愛)が輪廻の原因と教えている。そして滅諦では妄執を智恵によって滅することによって輪廻から逃れられ解脱すると教えている。どうやって智恵を得るかというと、それは道諦の八正道であると教えている。十二因縁説は、基本的には集諦と滅諦を十二段階に分けて詳細に説明したものと理解されている。  十二因縁説が後世に与えた影響は計り知れない。それが仏陀が説いたものでなく、後の者が補完して整備したものであったにしても、重要なものなので避けては通れない。
 十二因縁説は、「無明ありて行あり、行ありて識あり、・・・」と、無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死まで、無明から生・老死に至り輪廻の苦しみを受けるまでの連鎖になっている。無明を明智によって滅ぼす。大乗仏教の言葉ならプラジュナーという智恵によって滅ぼす。すると無明の滅によって行の滅、行の滅によって識の滅、・・・と、最後に生まれ変わりが滅せられるという教えになっている。
 注意すべきことは、十二因縁説の「愛」が集諦と滅諦の「渇愛」であることである。ゴータマ・シッダールタは渇愛によって輪廻すると教えた。一方、十二因縁説では、渇愛が起こる原因をさかのぼっていって、輪廻の根本の原因として無明にたどり着き、そして無明を滅ぼせば良いとしている。
 十二因縁説は精緻を極めているが、一つ一つの言葉の意味が非常に難しい。今回と次回に渡って、これらの言葉の意味を詳細に検討していく。 (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第20回:仏教(十二因縁説2)

 十二因縁説の一つ一つの項目に対して様々な解説がなされている。最も詳細で適切な解説はベックという方の「仏教」(岩波文庫)と思う。この本を用いて説明していくが、内容が非常に難しい。物質次元なのは、有、生、老死の3つだけで、それ以前は全部、アストラル体、リンガシャリーラ、微細体、幽体といった次元の微細な身体での出来事が書いてあるので、物理的次元の唯物的な考えしか持っていない人には解説することが出来ない。 サーンキヤ哲学の概念を先に押さえておくことは、十二因縁説を理解する上で役に立つ。
 サーンキャ哲学のいう自性(プラクリティ)が超感性的な根本質料であり、仏教で言うところの「無明」であるというのがベックの解釈である。基本的にこれでいいけども、・・・・。 (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)





【11枚目】[商品記号:sk-a2122]
 第21回:仏教(十二因縁説3)
 第22回:仏教(十二行相縁起)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第21回:仏教(十二因縁説3)

 サーンキヤ哲学の[真我・自性]に始まる並びは、人間があるいは宇宙がどういう順番で展開していくかを表している。ブッディ[覚]が現れて(それは個人のブッディではなく宇宙レベルのブッディだが)、次に宇宙レベルのアハンカーラ[我執]、そしてマナス[意]と展開していく。
 ところが、十二因縁というのは宇宙が展開する様を表しているのではなく、過去に貯えられた個人の行がいかに結実して生まれ変わりをもたらすかを説明している。全く別のことを言っているのだから、サーンキャ哲学の展開論に十二因縁が乗るはずがない。たまたま部分的に一致するので、他の所も同じだと思ってしまうのである。
 個人が天界であるいは精霊界で霊体として生きていて、時が満ちたときに人間として生まれ変わらないといけない。神々ですら時期が来たら生まれ変わらないといけない。そのときにどのようにして生まれてくるかを十二因縁は説明している。
  (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第22回:仏教(十二行相縁起)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
これがあるとき かれがある
これが生ずるから かれが生ずる
これがないとき かれがない
これが滅するから かれが滅する
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
これらを満たすとき、「これ」と「かれ」は縁起の関係にあるという。仏陀はこの縁起に基づいて、無明から行が働いて生まれ変わりに至るメカニズムを理解したと考えられる。
 縁起の関係は直接力を受け渡す2項でなければならないこと、そして前記4行を満たす「これ」と「かれ」の連続した連鎖によって、生まれ変わりのメカニズムを説明するのが十二因縁であるということ。その観点からもう一度見直すと、十二因縁説は因果関係であって縁起になっていないことが分かる。十二因縁説はサーリプッタの説だと考えているが、このままでは間が抜けており成り立っていない。では仏陀が悟った「三転十二行相」とはどんなものだったかというと、おそらく、・・・・。
  (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)





【12枚目】[商品記号:sk-a2324]
 第23回:サーンキヤ哲学(自己と自性)
 第24回:サーンキヤ哲学(25原理)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第23回:サーンキヤ哲学(自己と自性)

 サーンキヤ哲学は非常に良くできた哲学で、実際にヨーガを修する人、実践的な人はこれで十分だというような内容になっています。厳密性を著しく欠いているということ、論理的に突き詰めていくと矛盾があり、そうい意味においはて不完全な哲学ですが、見事にシンプルで目的地まで単純に書かれているという意味でガイドブックとして使い勝手がいいと言えます。
 まずサーンキヤ哲学は二元論で、自己(プルシャ)と自性(プラクリティ)という全く相反する二つの実在を立てます。これらは実在と言うからには永遠不滅ということです。
 自己(プルシャ)は何もしません。基本的に見るだけ。見るもの。
 自性(プラクリティ)は女性原理であって、全ての宇宙の存在がここから生まれ出て、ここに帰って行くものとされています。ここから宇宙が展開していく。現代の物理学と非常に似ています。ただ、物理学は物質のレベルしか扱っていません。インドの哲学は、物質を超えた精神レベルまで展開していくと考えているわけです。
 サーンキヤ哲学は自己が自性を見たときに、そこから自性が変質して展開していくと考えています。・・・
 自性が自己より波動が高いというと信じられないかもしれませんが、サンーンキヤ・カーリカーに「原質より微細なものはなにもないというのが私の見解だ」と書いてあります。女性原理の方が上にあるんですね。・・・。
参考文献)「「インドの二元論哲学」を読む」宮元啓一著、春秋社(イーシュヴァラクリシュナ著、ガウダパーダ註)
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第24回:サーンキヤ哲学(25原理)

 前回は、世界がプルシャとプラクリティの干渉から展開する、そこまでをお話ししました。今回は展開する様を説明したいと思います。
 サーンキヤ・カーリカーという本の中では、プラクリティのことを「主要なるもの」といっています。母親のような次のものを生み出すものを「原質」といいます。原質の中の最初の原質、「根本原質」というような意味合いで「主要なるもの」という別の言葉を作っています。心から我慢(アハンカーラ)が、我慢から十六よりなる一群(意、十根、五唯)が、・・・。見事に順番に落ちていく様が描かれています。これがサーンキヤ哲学です。私たちが贍部洲から瞑想で意識を引き上げていき、有楽三昧を修めて、最後に解脱するということを考えると、非常にいいガイドマップになっています。ところが、なぜ我執から意(マナス)がでてきて、意から十根や五唯ができるとなぜ考えなかったのでしょうか。彼らの根本的な過ちというのは、自性から覚(ブッディ)が展開して、覚から我慢(アハンカーラ)が展開して、と誤解したことです。・・・
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)





【13枚目】[商品記号:sk-a2526]
 第25回:サーンキヤ哲学(微細身)
 第26回:サーンキヤ哲学(解脱)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第25回:サーンキヤ哲学(微細身)

 サーンキヤ学派の人たちは、微細身が輪廻すると考えていることが分かります。微細身が肉体に入っていない状態で、心の状態が欲望に満ちているとか煩悩性のものであるといった、その状態に応じて微細身が肉体にはいる、すなわち輪廻するといっています。
 だから微細身が消滅しない限り必ず輪廻して人間は苦しみを受けなければならないけれども、25原理の知識にを得ることで微細身は消滅して輪廻からの解脱があるというのが彼らの論理です。しかしそれには理論的根拠がありません。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第26回:サーンキヤ哲学(解脱)

 サーンキヤ哲学の理論では、自性(プラクリティ)が展開して微細身ができ、それが肉体に入ることになっています。そして解脱するまで微細身は壊れないので、何度も何度も転生して肉体に入って来るこのことを輪廻と言っています。
 しかし実を言うと、どんな人の微細身も贍部洲にはなく幽界にあります。微細身は一度も欲界に入ることはありません。従って言語的に正確に言うならば、輪廻するのはメ肉体モです。死んで肉体が壊れます。そして次の肉体が作られるまで中有といって存在しているけれども宙ぶらりんの状態になります。それから、人間に生まれてくるのなら両親を選んで微細身が入っていきます。神々に生まれてくるのなら、ばっと肉体が出来てそこに入ります。解脱したのなら、解脱したところに肉体ができてそこに微細身が入ります。
 肉体は壊れてしまいますが、エーテル体以上の身体、アストラル体、メンタル体などは不滅です。サーンキヤ哲学者は高い界層に肉体ができるということを知らないのだと思います。
 サーンキヤ哲学者は、25原理の知識によって解脱する、そして知識を除く心の諸状態によって束縛されると考えています。これは彼らの理論であって正しくありません。 
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

ユニティ注)竹下氏は、“肉体”という言葉を、精妙な身体を包む一番外側の身体という意味で使っています。





【14枚目】[商品記号:sk-a2728]
 第27回:ヨーガ・スートラ( I 1〜16)
 第28回:ヨーガ・スートラ( I 17〜40)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第27回:ヨーガ・スートラ( I 1〜16)

 ヨーガ・スートラ(ヨーガ根本教典)はサーンキヤ哲学を理論の支柱としています。
 スートラは全部で4章あり、1. 三昧章、2. 禅那章、3. 自在力章、4. 独存位章のうち、1章が一番大事な部分で全体のエッセンスが凝縮されています。しかしあまりにも簡潔に書かれているため、残りの3章で補足をしているという感じです。
 ヴィヴェーカーナンダの注解※は、この1章を丁寧に説明していて良い講義だと思います。私の宗教学講座では、ヨーガ・スートラ関連のどの本を読んでもかゆいところに手が届いていない、本当に微妙な言われていないところを、明確に分かりやすく説明します。ですが本を読めば分かるところは省いて、それぞれのスートラについては説明はしません。エッセンスの部分を押さえていきます。
 ヨーガ・スートラは宗教史上最も優れたものだと思います。簡潔に明解に書かれていてミスがない。解脱を目指す上でものすごく見事なガイドだと思います。 1章の三昧章の中に、解脱に導くだけの内容が入っています。その解脱には2種類あって、無想三昧(アートマンの悟り)と無種子三昧(ブラフマンの悟り/パラマートマンの悟り)です。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

参考文献)「スワミ・ヴィヴェーカーナンダによる パタンジャリのヨーガ格言集注解」
日本ヴェーダーンタ協会のHP
http://www.vedanta.jp/jp/contents/publishing/jbook-ichibu/ry-ichibu/ry2-00.html


第28回:ヨーガ・スートラ( I 17〜40)

 ヨーガ・スートラ禅定体験A

        瞑想の対象
 無想三昧 →アートマン
 有我想三昧→我慢(アハンカーラ)
 有楽三昧 →意(マナス)
 有伺三昧 →微細次元(五唯、根)
 有尋三昧 →五大

 禅定体験Aには、覚(ブッディ)、自性(プラクリティ)、自己(プルシャ)が入っておらず、無想三昧を得てアートマンを悟り、一気に解脱に到達する瞑想法です。ヨーガ・スートラには禅定体験Bもあり、これはアートマンより高いパラマートマンへ到達する瞑想法です。アートマンという山があって、そこに登ったあと、より高いパラマートマンという山に登るには、いったん降りてもう一度登らないといけません。
 まずはヨーガ・スートラの全体のストーリー展開を見た上で、後でこれらのサマーディがどんなものなのか、具体的な例をあげて説明します。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)





【15枚目】[商品記号:sk-a2930]
 第29回:ヨーガ・スートラ( I 41〜51)
 第30回:ヨーガ・スートラ(総論1)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第29回:ヨーガ・スートラ( I 41〜51)

 「ニルヴィチャーラ・サマーディ(無伺三昧)が純粋になったとき、至高の自己は輝く」(ヨーガ・スートラ I-47)
 これは意識があってちゃんと見ているけれども、あまりにも何も動かないので意識がないように見える、そんな状態です。この思うでもなく思わないでもないような意識状態に入り込んでいる時に、突如、太陽が1000も同時に輝いたようなまばゆい光が意識の一面をバアーンと被うのです。それがリタムバラー・プラジュニャー(絶対的な真理意識)です。
 リタムバラー・プラジュニャーの印象は、他の全ての印象を消していきます。このサマディを経験すると、思考がゆっくりと何年もかけて消えてゆきます。
 そして最後です。
「この印象さえも拭い去られるとき、あらゆる印象が完全に消滅して、そこにはニルビージャ・サマーディ【無種子三昧】がある。」(ヨーガ・スートラ I-51)
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

※スートラの引用:「インテグラル・ヨーガ」スワミ・サッチダナンダ著、めるくまーる

第30回:ヨーガ・スートラ(総論1)

「これは私のものだ」と主張している時は、意識が心臓の"我執"という所に集中しています。もし霊視という感覚をもっている人なら、胸のあたりに青白い光が見えるはずです。それが身体の周りを覆っているように見えるときもあります。それは"我性、我執、私のもの"というものに取り憑かれている状態です。
 自分自身の心を見つめて鎮めていくことが大事で、感情に揺さぶられない巻き込まれない努力が必要です。ずっと自分の心を見つめ続けて、感情を鎮める努力をし続けている人は、知らずにあるとき忽然とプルシャを悟っているということがあるんです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

参考文献)
「スワミ・ヴィヴェーカーナンダによるパタンジャリのヨーガ格言集注解」
日本ヴェーダーンタ協会
http://vedanta.jp/jp/contents/publishing/jbook-ichibu/ry-ichibu/ry2-00.html





【16枚目】[商品記号:sk-a3132]
 第31回:ヨーガ・スートラ(総論2)
 第32回:ヨーガ・スートラ(有想三昧)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第31回:ヨーガ・スートラ(総論2)

 これまでの宗教というのはエジプトの宗教を除くとシリウスレベルの宗教はなく、太陽系レベルの宗教です。それは神智学も同じで、神智学の場合は太陽系レベルの進化論、創造論、宇宙論であるとはっきりと銘打っています。ただそれでは宗教の枠が狭いので、この講座では初級ではあるけれどもできる限り全体像を押さえるという意味で説明をしています。・・・
 実を言うと、パラマートマンを実現したのは、私の直感が間違えていなければ現在までわずか5名しかいません。一番初めにパラマートマンを実現したのはインドの賢人ヤージュニャヴァルキヤです。ホツマの過去の講演を知っている方は、シリウスシステムより上にたくさんの神のシステムがあることをご存じだと思います。その全てのシステムの神々を追い越して、人間であるヤージュニャヴァルキヤが最も最初にパラマートマンを実現しました。
 そして、高名な仏教徒のアージニャータ・カウンディヤです。原始仏教が滅尽定というパラマートマンの悟りと同じレベルに達しているのはこの方がいるからだと思います。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

・講義で説明のあった「除霊と浄化の祈り」について→祈り方はここから
・講義で説明のあった「ガヤトリーマントラ」についてはセミナー映像を無料公開中
  →映像はここから
スートラの引用:「インテグラル・ヨーガ」スワミ・サッチダナンダ著、めるくまーる

第32回:ヨーガ・スートラ(有想三昧)

 これまでヨーガ・スートラがどういう構成で、何を説明しようとしているかを大ざっぱに見てきました。それぞれのサマディ(三昧)の細かい説明はしてこなかったので、今回から3回に渡って具体的な例をあげて説明をしていきたいと思います。

禅定体験A
I 有想三昧(Samprajnata-samadhi)
 1. 有尋三昧(Savitarka-samadhi)
 2. 有伺三昧(Savicara-samadhi)
 3. 有楽三昧(Sananda-samadhi)
 4. 有我想三昧(Sasmita-samadhi)
II 無想三昧(A-samprajnata-samadhi)

禅定体験B
I 有種子三昧(Sabija-samadhi)
 1. 有尋定(Savitarka-samapatt)
 2. 無尋定(Nirvitarka-samapatti)
 3. 有伺定(Savicara-samapatti)
 4. 無伺定(Nirvicaca-samapatti)
II 無種子三昧(Nirbija-samadhi)

今回は"有想三昧"です。まず有尋三昧。
(引用文献:「インドの光」田中嫺玉著 中公文庫、p79)
 ラーマクリシュナが瞑想を重ねて心眼が開いてきて、普通の意識状態で大実母(マー)の姿が見えるようになってきました。「カーリー堂の銀の寝床から、大実母が起き上がって、かろやかな足どりで寺の二階に上がっていくのを。・・・」目に浮かぶような描写が描かれています。明らかに私たちの世界とだぶっているでしょう。これは有尋三昧で、私たちのいる欲界の贍部洲のサマディです。ただしもっと細かく見ると第5次々亜界の第5層のサマディなので、一つ下の第6層にいる一般人にはちょっと波動が高くて見えません。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)





【17枚目】[商品記号:sk-a3334]
 第33回:ヨーガ・スートラ(有種子三昧)
 第34回:ヨーガ・スートラ(無想・無種子三昧)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第33回:ヨーガ・スートラ(有種子三昧)

 今回は、ヨーガ・スートラに書かれているサマディのBのパターン、有種子三昧の4つの具体的例を見ていきます。
 太陽系第一レベルのハイアラーキーの場合、大梵天の第5次亜界にモナドがあるので、ここに到達することを目指しています。私たちは贍部洲にいるので、意識のレベルとしてずいぶん離れています。この界層図では波動は上に行くほど、左に行くほど高いので、パラマートマンという最高自己を体現したときに、物質の世界に縛られた意識からはるかに飛躍して高い意識を獲得することになる、それが至福の境地と言われているわけです。
 (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第34回:ヨーガ・スートラ(無想・無種子三昧)

 ラマナ・マハリシとラーマクリシュナぐらいしか、無想三昧の体験例を探すのは難しいのです。今回はラマナ・マハリシの体験例という形でお話しをしたいと思います。この方は貴重な方で、写真が残っていて体験が語られている。恐らくシャンカラやパタンジャリもそれを実現しているでしょうが、自分の体験は一切語っていません。こういう生まれたときからある種、運命づけられているというか、役割を背負わされている方は、ヴェーダの賢人(リシ)を現在に再現する役割があったろうと思います。インドの彼を崇拝する人々は、彼に古代の2千年以上前の森の中に住んでいたヴェーダの賢者の面影を見ていて、厚く敬ったということなんです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン) 





【18枚目】[商品記号:sk-a3536]
 第35回:シッダへの道(概論)
 第36回:シッダへの道(有尋定)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第35回:シッダへの道(概論)

 スワミ・ムクタナンダという方の「プレイ・オブ・コンシャスネス(意識の戯れ)」という本があって、ムクタナンダの自己実現にいたるまでの瞑想の過程、体験が克明に綴られていて、非常に珍しい本です。彼の体験を詳しく説明しようと思います。
 ニッチャナンダからシャクティーパットのイニシエーションを受けて、クンダリニーが覚醒を始めるんですね。8年間を瞑想に費やしてついに自己実現を果たすということで、それを自伝に書いています。これがさっきの本です。
 こういうジャンルで「師」無しに進むというのはかなり難しいし危険なことでもあるだろうという気がします。普通はこのヨーガのルートを進むときは師匠に巡り会って弟子入りをします。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

講義で説明のあった「16項目の徳目」について

第36回:シッダへの道(有尋定)

 前回、スワミ・ムクタナンダという方の瞑想の体験を紹介しました。今日は、有尋定(有尋三昧)の部分を説明します。彼の本に書かれている有尋定の瞑想体験は、『第6層』ですが、パラマハンサ・ヨガナンダの瞑想体験は『第5層』です。ヨガナンダの方が進化段階が遙かに高いので、瞑想体験が非常にクリアでピュアなものを見ています。ムクタナンダの場合は、もう少し人間レベルに近いものを見ているということになります。 (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)  





【19枚目】[商品記号:sk-a3738]
 第37回:シッダへの道(無尋定・有伺定)
 第38回:シッダへの道(無伺定)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第37回:シッダへの道(無尋定・有伺定)

 瞑想体験としては、他化自在天の「16.シッダの世界」の瞑想体験よりも、「17.黄金色の蓮花が頭上に落ちる」の三十三天の裏のアストラル界の体験の方が高いです。ちょうどマンションで、「16」は欲界なので階は高いけども安い間取り、「17」はアストラル界なので、階は低いけども家賃が高い高級な間取りなので行くのが難しいという感じです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第38回:シッダへの道(無伺定)

 今日はムクタナンダの瞑想体験の最終段階で、彼が自己実現、プルシャを実現する段階の説明です。これまで下から音の世界までを説明してきました。今日説明する青い人物のヴィジョン、死への恐れ、大いなる意識、自己実現の部分の瞑想体験は無伺三昧というレベルに相当します。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)





【20枚目】[商品記号:sk-a3940]
 第39回:ヒンドゥー教(マヌ法典:ヴァルナ体制)
 第40回:ヒンドゥー教(マヌ法典:四住期)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第39回:ヒンドゥー教(マヌ法典:ヴァルナ体制)

 ヒンドゥー教の成立に関して、マヌ法典の成立とマハーバーラタとかラーマヤナという宗教文学、特にマハーバーラタの中のバガヴァッド・ギーターというクリシュナ神の活躍を描いた部分が、その後のインドのヒンドゥー教の中で、決定的な役割を果たすわけです。そこにある思想を取り出して見てみたいと思います。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第40回:ヒンドゥー教(マヌ法典:四住期)

 マヌ法典によって確立した「四住期という理想の生き方」というものがあります。
四住期では人生を
 学生期→家住期→→林住期→遊行期
のように4つの時期に分けます。
 人生の前半は、世俗的な部分に関わって生きる時期で、まず正しい生き方をヴェーダによって学習する学生期。そして結婚して子供を作って、家業を継いでお金を蓄えて、ちゃんとバラモンに布施をするという家住期。
 後半生は、宗教的な生き方の時期で、家を捨てて森の中で質素な暮らしをしてひたすら神を瞑想して悟りを得るための林住期。そして悟りを得たら聖地をずっと巡って死に至る遊行期。
 このように人生を大きく2つに別けているわけです。ところがマヌ法典をよく読んでみると分かりますが、家住期という金を稼ぐ時代が最も重視されていることが分かります。 (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)





【21枚目】[商品記号:sk-a4142]
 第41回:ヒンドゥー教(マヌ法典:行為の準則)
 第42回:ヒンドゥー教(マヌ法典:婚姻と刑罰)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第41回:ヒンドゥー教(マヌ法典:行為の準則)

 マヌ法典では、「幸せ」を「長寿、名声、富、幸福、子孫、等々」と書かれています。ここでいう幸福は恐らく良好な人間関係という意味合いでしょう。マヌ法典は、このように意味づけされた「幸せ」を肯定します。しかし、禁欲主義者(苦行者)はこれを否定します。マヌ法典は現世肯定で、長寿、名声、等々をヴェーダに規定する正しい方法によって手に入れようとする世界観ですが、一方苦行者は、このようなものは解脱をもたらさないと退けます。
 私がこれらを問題にしているのは、両方とも間違いだからです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第42回:ヒンドゥー教(マヌ法典:婚姻と刑罰

 マヌ法典の行為の規則が間違った視点から書かれていたのであれば、それに基づいて行動すればみんな間違ったことをしてしまいます。マヌ法典に書かれている規則の中で、最も問題になるだろうと思われる部分が、女性に対する差別の問題と婚姻の問題、そして準則を犯した者に対して与えられる罰。ここの部分を見ていかないとマヌ法典に書かれている思想が正しいものであるのかどうか分かりません。
・同一ヴァルナ婚
・八つの結婚式
・妻の貞節
・刑罰の適用
  (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【22枚目】[商品記号:sk-a4344]
 第43回:ヒンドゥー教(マヌ法典:サティー)
 第44回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:概略)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第43回:ヒンドゥー教(マヌ法典:サティー)

 今日のテーマは「サティー」という、女性が夫の死後、後を追って火の中に身を投ずるという風習です。これはインドの神話から来ています。サティーという女性が、夫との関係を父親が理解してくれなかったので、嘆き悲しんで火の中に身を投じたというそのサティーという名前が風習の名前になったわけです。
 インドもイギリスの支配などいろいろな価値観が入ってきて、この風習そのものに対する疑問が生まれてきます。そして近代インドの父と呼ばれる「ラーム・モーハン・ロイ(ラムモホン・ロイ)」によるサティー反対運動により、ついにサティー禁止が法制化されることになります。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第44回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:概略)

 今日からバガヴァッド・ギーターの中に書かれている思想を解説しようと思います。岩波文庫から出ている本が、口語訳で書かれていて読みやすくて良い本だと思います。
バガヴァッド・ギーターというのは、完全に作り話、単なる物語です。
マハーバーラタに書かれているクルクシェートラの戦いは、通説では紀元前3102年2月18日から18日間とされています。この日からヒンドゥー歴は計算されています。事実はまったく違っていて、それを理解しておかないといけません。

参考文献)「バガヴァッド・ギーター」上村勝彦訳、岩波文庫
参考サイト)竹下氏より「29日の御光のヴィジョンについて」 2008/10/31(金)
http://blogs.yahoo.co.jp/kwkm88/archive/2008/10/31

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【23枚目】[商品記号:sk-a4546]
 第45回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:ギーターの年代)
 第46回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:第二章〜第三章)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第45回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:ギーターの年代)

今回は、バガヴァッド・ギーターの成立年代を中心にお話しします。 通俗的な説明では、現在はカリ・ユガ(暗黒の時代)と言われています。カリ・ユガは、マハーバーラタのクルクシェートラという大戦争が始まるまさにその午前0時に始まったと言われています。ですから、紀元前3000年くらいを想定して、それからずっと現在までカリ・ユガが続いていると説明されているわけです。前回の講義でそれが違うと説明して、クルクシェートラの戦いがもしあったとすれば、紀元前700年にアストラル界で起こったものと考えざるを得ないとお話ししました。
 スワミ・スリ・ユクテスワの「聖なる科学」という本に、ユガについて、非常に重要なことが書かれています。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)
 
第46回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:第二章〜第三章)

今回からバガヴァッド・ギーターの中身の解説に入っていきたいと思います。思想の根幹になる部分を押さえて、全体の流れをつかまえていきます。解説をする側から言うと解説が難しい本です。なぜかというと宗教的に思想的に間違いがほとんどなんです。ここはこういっているけども、こういう風に正しくないという形でその都度その都度言っていくつもりです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)





【24枚目】[商品記号:sk-a4748]
 第47回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:第四章〜第六章)
 第48回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:第七章〜第九章)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第47回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:第四章〜第六章)

 バガヴァッド・ギーターというのは、カルマ・ヨーガ(行為の道)とバクティ・ヨーガ(信愛の道)が柱になっていて、これを理論的に支えるのがジュナーナ・ヨーガ(智慧の道)のサーンキヤの哲学です。内容的にはそれだけで、要点さえ押さえておけば簡単なものです。
─カルマ・ヨーガについて─
なにか仕事をする時に「私が行動する」とか「私がこれをやっている」という思いなしにできるでしょう。想念をもたずに無思考で。 自動車を運転するにしてもなにか仕事をするにしても考え事をしながらするとミスが起こります。ピアニストが演奏するときは専心しないといけません。この専心とは一切なにも考えないでピアノを弾くということです。それは、「私がピアノを弾いている」という思いなしに弾いている、想念なしに行動をしているというこです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)
 
第48回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:第七章〜第九章)

七章から九章はバクティ・ヨーガが語られています。バクティ・ヨーガは帰依の道・信愛の道、愛の道です。要点は非常に簡単で、行為のヨーガと極めて類似しているところがあるので、今まで伝えてきたことを理解している方には非常に容易に理解できるだろうを思います。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)





【25枚目】[商品記号:sk-a4950]
 第49回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:第十章〜第十二章)
 第50回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:第十三章〜第十五章)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第49回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:第十章〜第十二章)

 (著書を読むと)辻直四郎さんのインドの哲学や文学に対する深い敬意を感じることができて、バガヴァッド・ギーターやインドの文献を愛していたのがよく分かります。辻さんは素晴らしい方だと思います。なのに、学者的感覚は研ぎ澄まされていて、凄く冷静で明晰にものを観ているという感じがします。
「ギータの説明は意義不明確な語句の使用によって煩わされている…」と書いてあり、確かにこの通りで、学者的哲学者的立場で言うと、なにを言っているか分からない言葉の羅列で煩わされます。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)
 
第50回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:第十三章〜第十五章)

《要素(グナ)》
 浄性(サットヴァ)…軽快・照らす→→→意識
 激性(ラジャス)……刺激的・活動的→→心
 暗性(タマス)………鈍重・覆う→→→→物質

 現代人には、サットヴァ・ラジャス・タマスを、意識・心・物質と理解する方が分かりやすいと思います。軽快で照らすのは意識の作用です。心は意識がもう少し激質になったもので私たちが想念と呼んでいるものであり、苦をもたらします。ですから宗教は「心」を止滅させようとしています。実際には止滅させることはできないけども静めることはできます。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【26枚目】[商品記号:sk-a5152]
 第51回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:第十六章〜第十八章)
 第52回:ヒンドゥー教(ヒンドゥー教の成立と特徴)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第51回:ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:第十六章〜第十八章)

 今日はバガヴァッド・ギーターの中身の解説の最後で、十六章から十八章、これで全体を説明したことになると思います。
 一章で、バガヴァッド・ギーターの簡単な構造を示しています。神意がどこでどのように語られるか概略のようなものが語られているわけです。
 二章から中身に入っていくのですが、・・・
 バガヴァッド・ギーターの流れを見ていくと、まずジュナーナ・ヨーガの理論を簡潔に提示します。でもそれはみんな迷ってできないわけですから、そういう意識にたどり着くためにカルマ・ヨーガを教えます。その次にバクティ・ヨーガを教えます。そしてクリシュナは自分が主宰神であることのヴィジョンを見せてアルジュナを確信させ、最後に各ヨーガがどの順番で優位性を持つかということで、実はクリシュナに対する信愛「パラー・バクティ」が最高だということをバガヴァッド・ギーターでは結論づけています。
今回はその最後という形になっています。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

参考文献)
「宇宙からの警告」 ケルビン・ロウ著 たま出版
「帝国ホテル厨房物語」 村上信夫著 日経ビジネス人文庫

 (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)
 
第52回:ヒンドゥー教(ヒンドゥー教の成立と特徴)

 今回は、ヒンドゥー教がどういう宗教なのかということを、大ざっぱにひとくくりにして見てみようと思います。
 バラモンは「家業に精を出し、富を貯え、祭祀を頻繁に催し、祭官への報酬を惜しんではならない(惜しむとバラモンに呪われる)」と教えました。(※「インド人が考えたこと」宮元啓一著、春秋社)
 バラモンは呪術、マントラというものをよく知っていて神々と繋がっているので、バラモンの機嫌を損なうと呪いの呪文をかけられてしまって大変なことになってしまいます。最悪のケース、マントラや儀式によって殺されてしまうこともあります。それが王や軍人たちがバラモンを恐れた理由です。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

参考文献)
「宇宙からの警告」 ケルビン・ロウ著 たま出版
「大統領に会った宇宙人」フランク・E. ストレンジズ著 たま出版
「インド 神々の事典」 丸山勇・写真/佐藤和彦・文 学研
「マイトレーヤの使命III」ベンジャミン・クレーム著 シェアジャパン




【27枚目】[商品記号:sk-a5354]
 第53回:ヒンドゥー教(カルマ・ヨーガ)
 第54回:ヒンドゥー教(バクティ・ヨーガ1)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第53回:ヒンドゥー教(カルマ・ヨーガ)

 バガヴァッド・ギーターを前回までに説明し終わった関係で、繋がりが非常によいので、カルマ・ヨーガ(行為の道)について今回1回お伝えしたいと思います。
 カルマという言葉はサンスクリット語の「kri(する)」から出ていると語源の説明をしています。全ての行為、想念までカルマだと考えるんですけども、カルマ・ヨーガの「カルマ」は単に「働き」を意味するものとして扱っています。行動のヨーガとか行為のヨーガ。如何に働くかという働きの秘訣という意味なんです。
 人は様々な動機の元に働きます。名声、お金、権力、宗教的な人は天国に行くため。動機のない行為は事実上ほとんど考えられないわけです。
 以前、愛と野心について説明しましたが、みなさんがある働きをするときにその動機がどちらなのかということなんです。野心は自分の行為によって、物質的あるいは精神的な見返りを求めています。ところが愛は見返りを求めない行動なんです。
宗教が気をつけないといけないのは、無私の行為、無償の行為を言っているように見えて、天国を約束したり、ある個人への崇拝を求めたりします。これが非常に困るんです。実際にはそれは野心で、愛ではないからです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

参考文献)
「カルマ・ヨーガ」スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著、ヴェーダーンタ協会
 CD「光、溢れる日々」ルドヴィコ・エイナウディ


第54回:ヒンドゥー教(バクティ・ヨーガ1)

「インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯」田中嫺玉著、中公文庫。これを読んでいただくとバクティの一面が分かるのですが、私から見て、ラーマクリシュナのバクティの実例は極端です。あまり薦められないと言うか、これがバクティだと思ったら、自分にはとても無理だとみんな思ってしまうと思います。もっと自然体で、自然な思いの発露みたいなところから自然にバクティになっていく、ということの方が本当だと思います。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

参考文献)
CD「アマルフィ」サラ・ブライトマン
CD「ピュア」ヘイリー・ウェステンラ





【28枚目】[商品記号:sk-a5556]
 第55回:ヒンドゥー教(バクティ・ヨーガ2)
 第56回:ヒンドゥー教(バクティ・ヨーガ3)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第55回:ヒンドゥー教(バクティ・ヨーガ2)

 女性は美しくなりたいと思うのは誰でもそうで、美しくあることは彼女自身に自信と喜びを与えますので、彼女に呼びかけました。 「もっと綺麗におなり、どうしたらいいか教えてあげるから」 彼女に美しくなる方法を教えました。ここで公開しておきます。実を言うと既にユニティのHPで公開しています。皆さんがそれを理解してやっていないだけのことです。
1)カルマ軽減の祈り
2)7つのダートゥの祈り
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第56回:ヒンドゥー教(バクティ・ヨーガ3)

 今日はバクティヨーガの3回目です。
 この絵の大宮姫道子様はダンス、バレエがとても上手で、彼女はバレエに関係する団体を霊導しており、中国障害者芸術団という舞踏団を応援しています。
「私たちの芸術
 彼らは日々の集団生活のなか、高い向上心、友好な人間関係、清廉潔白な道徳観、開拓精神、個々の多彩な才能とチームワークで、芸術団を神聖かつ潔白な集団であるように努めています。」出典)中国障害者芸術団 公式サイト
 この3行から、彼らの高い道徳観を見て取れると思います。この3行の部分が私や大宮姫様の共通の世界観なのです。彼らの演目である「千手観音」は多くの方が知っていると思います。
 もう一つヤン・リーピン(楊麗萍)という中国の踊りの名手が率いている集団があり、大宮姫様はこれら2つの団体を霊導しているということで、今回はその紹介をしたいと思います。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)





【29枚目】[商品記号:sk-a5758]
 第57回:ヒンドゥー教(バクティ・ヨーガ4)
 第58回:大乗仏教(輪廻思想)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第57回:ヒンドゥー教(バクティ・ヨーガ4)

 彼女(ユウヒメミコ)の過去世の一つが穴穂部間人皇女(アナホベノハシヒコノヒメミコ)という女性なんです。彼女と用明天皇の二人から生まれたのが厩戸皇子(ウマヤドノオウジ)すなわち聖徳太子。ですからユウヒメミコは聖徳太子のお母さんという形になるわけです。
 法隆寺には中宮寺があって、その中に菩薩半跏像があります。この像は穴穂部間人皇女の面影を宿して作っているんです。

WEB美術館「二人の菩薩」(1999/07/08)
http://www1.megaegg.ne.jp/~summy/miroku/miroku.html


このホームページが面白いんですけど、そこにこんなことが書いてある。
「日本男性の理想の女性に巡り会った気がした。」
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第58回:大乗仏教(輪廻思想)

  輪廻の実際について、仏教もヒンドゥー教も真相を知りません。これを今の初級の段階でお話しするのは時期尚早だと思います。これをお話しするのは中級・上級ということになるんですけども、今は、
・輪廻という思想自体は正しい
・ひどいことをするとひどい世界に生まれ変わる可能性が高くなる
・良いことをすると天界とか高い世界に行く可能性が高くなる
これらは正しいということです。
 自分が過去世で誰だったかを確信しているような人がいます。例えば美輪明宏さんという方がいて、魂が綺麗な人だなと思いますが、あの方は自分で天草四郎の生まれ変わりと言われていて、それはたぶん正しいと思います。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【30枚目】[商品記号:sk-a5960]
 第59回:大乗仏教(仏教の新たな展開)
 第60回:大乗仏教(六波羅蜜)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第59回:大乗仏教(仏教の新たな展開)

 大乗仏教は初期の原始仏教と全く違う、別の宗教だと思った方がいい。非常に難しいんですね。例えば般若系の経典であるとか、浄土系の経典であるとか、いろんな所に枝分かれしていて、それぞれが少しずつ違うことを言っている。
大乗仏教とは結局「空」をどう理解するかというところに尽きているわけです。ところがその「空」というのも初期の時代にいっている空と、般若経の空と、唯識の空では違う空を言っているわけで、この違いをちゃんと理解しないといけない。そういう細かい違いを教えてくれる本はどこにもないわけですから大乗仏教はとても難しい。
ただ、全体的なものとしてはとても良い本が出ているので紹介しておきます。

「わかる仏教史」宮本啓一著
これは非常に読みやすいです。仏教の全体像を仏教史という形で概観するのにいい。

「大乗仏教入門」竹村牧男著
これはものすごく見事な本で、大乗仏教を1冊の本に収めてしまうのは至難の業なんですが、それに成功している。読みいいのでさらっと読んでしまうんですけど中身は正確なことが書いてある。非常にお薦めできる本です。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第60回:大乗仏教(六波羅蜜)

 今回のテキストは『梶山雄一著作集第四巻「中観と空I」』。 私はこの梶山雄一さんという方は、最も明晰な文章を書く大学者だと思っています。今回この本から必要な文章をとってきました。素人でも仏教を本格的に学びたい方は、梶山さんの本がいい。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【31枚目】[商品記号:sk-a6162]
 第61回:大乗仏教(無量寿経1)
 第62回:大乗仏教(無量寿経2)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第61回:大乗仏教(無量寿経1)

 浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)を取り上げて解説したいと思います。
その中で一番古いと言われているのが無量寿経です。
この思想が大乗仏教の根幹になっているので、大乗仏教の成り立ちがよく分かるということです。
これが日本に与える影響というのが大きくて、浄土宗、浄土真宗、あるいは天台宗とか。膨大な影響を与えていて、日本人になじみの深いものなので中身を検討しておく方がいいというわけです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第62回:大乗仏教(無量寿経2)

  岩波文庫「浄土三部経(下巻)」の最後に解説があります。この中に非常に示唆に富む重要な文章がありますのでそれを観ていただきます。
「極楽浄土の原型がインドの神話のうちのどこにあるかということが、学者の間でいろいろ論ぜられた。要点は、ヴィシュヌ神の天国の観念を極楽浄土は受けているらしい。」
 前回の講義の中で、ダルマーカラがヴィシュヌの化身であるところのクリシュナであることを断定しました。ここでもそれと似たようなことを言っていることが分かります。ダルマーカラがクリシュナであることが分かれば、ダルマーカラがなったのが無量光如来・無量寿如来、阿弥陀仏だから、完全に、阿弥陀というのはクリシュナだということが分かります。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【32枚目】[商品記号:sk-a6364]
 第63回:大乗仏教(説一切有部:五位七十五法)
 第64回:大乗仏教(説一切有部:永遠の本体)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第63回:大乗仏教(説一切有部:五位七十五法)

 大乗仏教というと、空の思想を理解することが一番の要点になります。空の思想が出てくる背景は、当時、小乗仏教の特にアビダルマという思想(存在を微細な要素に分割してそれを論じる)が一番勢いがあった頃に大乗仏教が出て来るわけです。
 大乗仏教で龍樹(ナーガルジュナ)が徹底的に攻撃し批判したのは、仏教の中の大乗でない者たち特に説一切有部。それで、空の思想を理解しようとするとき、説一切有部、小乗仏教の基本的な教義がどんなものだったのか、そのどの部分に対して問題を感じて空の思想を展開していったのか、そこを理解しないと大乗仏教が分かりません。それで今回から2回か3回で、説一切有部の小乗仏教がなにを言わんとしているかを説明します。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第64回:大乗仏教(説一切有部:永遠の本体)

 前回、説一切有部の五位七十五法を説明して、彼らの非常に分かりにくい一見して明らかに矛盾のある理論を見ていただいたわけです。今日は更に分かりにくい彼らの理論を見ていただいて、次回それを全体総括する形で私が手を入れて説明したら、どうもこういう事を言っているらしい、ということが想像されるわけです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【33枚目】[商品記号:sk-a6566]
 第65回:大乗仏教(説一切有部:総論)
 第66回:大乗仏教(仏教における言葉と沈黙)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第65回:大乗仏教(説一切有部:総論)

仏陀が説いた「五蘊」の「色」は身体という意味合いで、「受・想・行・識」は心のレベルのものを細分化しているという話をしました。五蘊の中には虚空や涅槃のような恒常のものは全然入っていません。仏陀は五蘊に入っているもの全部、一切は無常であると言っている訳です。
ところが説一切有部の五位七十五法では、涅槃という恒常なものがあるはずだから、恒常のものを入れたわけです。
恒常のものを「無為法」と呼び、これは常住・恒常・ずっと存在する。
無常のものが「有為法」で、五蘊はこれに全部はいる。
有為法を細かく分けると、色法、心法、心所法、心不相応行法となります。
無為法を細かく分けると、虚空無為(今の私たちなら「時空」という感覚です)、択滅無為(悟りの境地)、非択滅無為(宇宙が陥滅する状態)。

無為法まで含めて一切といってしまうと、無為法は恒常なので一切は無常だと言えなくなるので、だいぶ概念が変わってきたということです。

「諸行無常」という言葉の「行」は「有為」のことです。五蘊の「行」とは同じ漢字だけども、全く意味が違っています。この微妙な違いが分かるということが大事です。時代が変わってくると、言葉の意味が変わってくる。人によって、部派によって言葉の使い方が違ってくる。哲学というのは、その言葉をどういう意味で使っているかを理解するまでが大変です。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第66回:大乗仏教(仏教における言葉と沈黙)

 この世のことというのは現象世界のこと、すなわち五蘊のこと。それは「有」でも「無」でもないというのがゴータマ・ブッダの立場です。
「有」とは言えない、壊れていくから。無常で。
「無」とは言えない、生起してくるから。それが見えている以上、無いとは言えない。
論理の世界では「ある」か「ない」の二つだけになってしまいます。けれども人間の言語では「ある」と「ない」というのは二つだけではなくて、ニュアンスとしてものすごくレベルがあるんです。

ない
ないと言える
ないとは言えない
あるとは言えない
あると言えなくはない
あると言える
ある

こういう現象しているレベルのことに、「有」と「無」を付け加えます。
「無」とは存在の絶無を意味しています。大きいとか小さいとかサイズの次元の話しをしているのではない。存在が無いということを言っている訳です。
「有」とは無と反対のことですから、これは絶対存在、永遠不滅に絶対に存在しているということ。

すなわち、何を言っているかというと、「有」とか「無」といのは、形而上の言葉なんです。そして、「ある」〜「ない」は現象世界の言葉なんです。
この世のことに形而上学的レベルの「有」「無」の言葉を使って議論するのはばかげている、だから、ブッダは現象世界のものは「有」でも「無」でもないとしたのです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【34枚目】[商品記号:sk-a6768]
 第67回:大乗仏教(金剛般若経:即非)
 第68回:大乗仏教(金剛般若経:功徳)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第67回:大乗仏教(金剛般若経:即非)

 金剛般若経というのは般若経の経典群の出発点になった最も重要な思想です。その後の大乗仏教の思想の方向を決定してしまったというぐらい重要な経典です。ただ非常に分かりにくいもので、意味をちゃんとつかむのが難しい。
 AはAではない、ゆえにAと名づく。
という論理を鈴木大拙は「即非の論理」と名付けて定式化した。 これを理解しようと思ったら普通の言葉の感覚では理解できないし、今までずっと話してきたように、仏教は常識に反した言葉の使い方をするんです。 それでよく禅の公案という形で仏教でよく使われる、こういう言葉を考えてみます。
 山は山ではない。ゆえに山と名づける。
 谷は谷ではない。ゆえに谷と名づける。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第68回:大乗仏教(金剛般若経:功徳)

 津波なんかに襲われて家や家族を根こそぎ持って行かれて一人だけ残った人は、現実として受け入れられないと思うんですね。夢としか理解できないという状況に遭遇しますよね。
 だけれども、犬とかは言葉のない世界で生きているわけでしょ。ありのままの世界、明日をも知れないような命、だから強烈な人生を生きているわけでしょ。
 人間の場合、あるあると思いこんでいたモノがなくなるから、「夢なんじゃないの」って。それは家とか財産とかずっとあると信じていた、株でも銀行でもあると思いこんでいた。突然消えちゃった。それが現実ですよね。

 だからそういう想念なしに、吹っ飛んで犬のように生きている人は、この世界がありのままの現実なんですよ。そのありのままの世界のことを、後に仏教では「真如(しんにょ)」とかいいだすんですよ。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【35枚目】[商品記号:sk-a6970
 第69回:大乗仏教(金剛般若経:論理の三原則)
 第70回:大乗仏教(八千頌般若経:ものの真相)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第69回:大乗仏教(金剛般若経:論理の三原則)

 人間の意識は、顕在意識、潜在意識、無意識の3つに分かれると思って下さい。

───┌無意識:即非の論理
意識=├潜在意識:ヘーゲルの弁証法
───└顕在意識:基礎論理(論理の三原則)

 私の考えでは、顕在意識の論理が「基礎論理」、潜在意識の論理が「ヘーゲルの弁証法」、無意識の論理が「即非の論理」。
それぞれ下のものは上のものの一部になっている。
 ヘーゲルの弁証法とはどんなものかというと、非常に曖昧な中間状態のものというのは論理のベースに乗りません。人間の情、感情であるとか曰く言い難いものの考え方の対立がこの世界にはあります。そういったものの中で、世界とか社会は動いていますので、論理の三原則で動いているのではない。むしろ人間の心の中にある色んな思惑とか矛盾とかというものが出てきて、歴史とか世界が動いていくわけですね。そういったものは論理で説明できるのではなくて、むしろ弁証法で説明が出来る。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第70回:大乗仏教(八千頌般若経:ものの真相)

 サーンキヤ哲学では、自己(プルシャ)と自性(プラクリティ)が究極の実在であって、この二つが干渉することによってここから世界が展開していくということでした。
 ヴァスミトラという人は五位七十五法をとなえた説一切有部の論客だった。彼はプルシャを実現していて、その境地のことを択滅無為といい、これはサーンキヤ哲学でいうと自己に相当するはずです。説一切有部だとあと二つ無為法があって、それは非択滅無為(知恵によらない煩悩の消滅)、虚空無為(ものの存在する場)。これらは永遠のものと捉えるので自性に入ると思います。
 五蘊(初期の仏教のいう一切)を大乗仏教なら「空」ということなんでしょう。サーンキヤ哲学では実体はこれ(自性)ですから、心、我執、意、十根、五唯は自性から展開したものなので無常のものです。ところがサーンキヤ哲学では25の実在原理といっています。なのにこれは環滅して自性に帰って行きます。そこからまた展開していくと考えています。これは現代の宇宙論に似ているわけで、合理的な考え方だと思うんです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【36枚目】[商品記号:sk-a7172
 第71回:大乗仏教(八千頌般若経:菩薩の教説)
 第72回:大乗仏教(八千頌般若経:大乗の悟り)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第71回:大乗仏教(八千頌般若経:菩薩の教説)

 般若経の思想を理解すれば大乗仏教が何を言っているかが分かってくるということです。かなり支離滅裂な思想なので、彼らが何をいっているのか善意に解釈して正しく理解する。不備なところは不備であるとちゃんと言わないといけません。
 今日は、八千頌般若経の彼らは世界を幻影と見ているということの意味を掘り下げて見てみようと思っています。
 経典では、愚かな凡人(説一切有部、物理学者、現代人)はものの本性を知らないと言っているんです。じゃあ悟った人たちはものの本性をどう理解しているかというと、「空」「無い」と理解しているというわけです。
 全てが空だといっているのですから輪廻も解脱もないわけで、一切が空なんだったら、輪廻をしている夢を見ている人と解脱をしている夢を見ている人がいるだけなんです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第72回:大乗仏教(八千頌般若経:大乗の悟り)

第1の悟り=「小乗の悟り」(自己:プルシャの実現)
第2の悟り=「巧みな手だて」(空を悟っているが体現できていない)
第3の悟り=「知恵の完成」(空を体現した状態)
(「大乗仏典3 八千頌般若経II」中公文庫 解説:梶山雄一、解釈:竹下雅敏氏)

 これらの意味を説明します。
 彼らの言っていることを見るときに、般若経の著者がどういう意識レベルにいたか、彼らが到達した最高の意識レベルはどこだっかを探ったら、「心(大:マハット+覚:ブッディ)」なんです。太陽系第三レベルの覚:ブッディに到達して般若経を書いている。
 五蘊(一切)は彼らにとって空、幻です。全部が空なんだけども、空の中の最も純粋な空は心になるんです。何故かというと般若経徒にとって自己プルシャや自性プラクリティは無いですから。彼らにとって、心以下が全てです。大乗仏教徒はそのように勘違いしていますから。一切は空なりなんですけれども最も純粋な空が展開してものすごく多様になったのがこの世界なんですね。その一番純粋な空が大と覚なんです。
「空」を体現するというこの空はブッディのことなんです。ブッディは覚とも書きますが、実は「直観」です。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


【37枚目】[商品記号:sk-a7374
 第73回:大乗仏教(八千頌般若経:総論)
 第74回:大乗仏教(中論:帰敬偈)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第73回:大乗仏教(八千頌般若経:総論)

 意(マナス)が正邪を判断しているところです。これは個人のレベルではありません。宇宙の普遍的なものです。ですから共通の認識を本当は持っているはずなんです。人類、生きているものであれば。
 覚(ブッディ)これは何かと何かが正しい。イコールである、あるいは異なるということをやっている。
 心、我執、意、これらを総合したものが高次の心で、ここが善悪をちゃんと知っている。自分がこれをしてはいけない、したらいいと知っているんです。だから一人一人の人に対しては、しっかりと瞬間瞬間に善悪ははっきりとあります。それにもとる行為をやってしまったら、世間的な善悪の観念で内側の心が、「これはやっちゃいけない」と叫んでいる、それをやってしまったらカルマがつくんです。だから、人間にははっきりと善悪があって、自分がやるべきでないことがはっきり分かっているんです。ところが大乗仏教はこういうことが分かっていないので、めちゃくちゃなことをいいます。善も悪も本質はないんだから、有情を救うためには悪といわれることもやりなさいというわけですよ。大乗仏教は。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第74回:大乗仏教(中論:帰敬偈)

 龍樹(ナーガルジュナ)という人の「中論」という大乗仏教の最大の思想があります。最も大乗仏教に大きな影響を与えた、それから難解である、この中論に今日から入っていこうと思います。
 今日はさわりの部分の一番大切な帰敬偈(ききょうげ)というのがあるんですけれども、その説明をしていきたいと思っています。
 中論に関して言うと、とてもいい本があって、「龍樹 空の論理と菩薩への道」瓜生津隆真著。これはすごく良い本で、中論の中身がコンパクトにまとまっていると思います。前に解説した梶山雄一さんの「中観と空」と同じぐらいの難しさだと思います。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


【38枚目】[商品記号:sk-a7576
 第75回:大乗仏教(中論:自性)
 第76回:大乗仏教(中論:空と縁起)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第75回:大乗仏教(中論:自性)

  般若経では、「空」を
「ものが究極的には存在しない」
「ものの存在の仕方が幻想のよう」
「存在の仕方がなんとなくぼんやりしている」
というこんな感じの意味で、ニュアンスとして捉えていた。
ところがナーガルジュナはこういったことをふまえて、
空=「ものに自性が欠如していること」
と明確に定義をした。これがナーガルジュナが非常に偉大だと言われるゆえんなんです。問題なのは、それ自身の存在「自性」、これはなんなのかということが分からないといけません。自性の定義をしないといけません。
ナーガルジュナは自性について、こういうことを言っています。
「自性は常住かつ不変不滅」
実はここが間違えているんです。この定義がおかしい。
だから中論と言うのは支離滅裂で誰も分からないものになってしまっている。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第76回:大乗仏教(中論:空と縁起)

 前回からホームページ「空の思想ナーガールジュナの思想」を使って中論を解説しています。とてもいいホームページだということを紹介し、できれば読んでおいて欲しいとお願いをしました。( http://sugano-hp.web.infoseek.co.jp/butu/ku.htm )を使って中論を解説しています。とてもいいホームページだということを紹介し、できれば読んでおいて欲しいとお願いをしました。
前回は、自性の性質について、ナーガルジュナの定義に大変な問題があるということ、その定義がアビダルマ論師が恐らく想定していた自性の性質と違うということを説明しました。根本的に矛盾するものを自性の性質として定義してしまっている。
もう一つ言うと、「自性でない」と「自性がない」をナーガルジュナが混同している。この2つを混同してしまうと議論はかみ合わないわけで、いくらナーガルジュナがアビダルマ論師を論破したつもりになっていても、全くそれは空をきっているようなもので、無意味な議論をしている。本質を全くついていない無意味なことをいっているということになるわけです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


【39枚目】[商品記号:sk-a7778
 第77回:大乗仏教(中論:詭弁論法)
 第78回:大乗仏教(中論:空と縁起)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第77回:大乗仏教(中論:詭弁論法)

中論がしばらく続きます。大乗仏教の基本的なものの考え方が確定したところなので非常に重要です。これは非常に有名な文章です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(反対者(=説一切有部)いわく)
もしもこの一切のものが空であるならば、(なにものも)生起することなく、また消滅することもない。なにものを断ずるがゆえに、またなにものを滅するがゆえに、ニルヴァーナが得られると考えるのか。(中論 24:1)
((ナーガールジュナが)答えていわく)
もしもこの一切のものが不空であるならば、(なにものも)生起することなく、また消滅することもない。なにものを断ずるがゆえに、またなにものを滅するがゆえに、ニルヴァーナが得られると考えるのか。(中論 24:2)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第78回:大乗仏教(中論:相依性の縁起)

ナーガルジュナ(龍樹)が縁起の思想を、小乗仏教では時間的な因果関係をもう少し強くしたものと理解していたのを、相互依存関係に拡大解釈をして論理を展開した、ということを話しました。
今回は、そこの所を突き詰めて丁寧に説明したいと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その典型的な例を挙げれば、
 無明に縁って行があり・・・無明の滅によって行の滅がある。…(1)
という伝統的な縁起の表現を、ナーガールジュナは、
 行がなければ無明も生じないし、それ(無明)がなければ行 も生じない。…(2)
というふうに、表現しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ナーガルジュナは(1)の「無明に縁って行があり」の部分の対偶をとって「行が無ければ無明がない」と言い換えたんです。(1)の「無明に縁って行があり・・・無明の滅によって行の滅がある。」なら無明が先で行が後と、はっきりとした時間の前後関係がある。けれども、ナーガルジュナが書き換えた(2)の「行がなければ無明も生じないし、それ(無明)がなければ行も生じない。」なら、無明と行が同時に存在する相互依存関係になってしまう。こんな勝手な書き換えが許されるのか。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【40枚目】[商品記号:sk-a7980
 第79回:大乗仏教(中論:区別の哲学)
 第80回:大乗仏教(中論:意識・心・物)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第79回:大乗仏教(中論:区別の哲学)

もう一度、説一切有部の言っていることを理解して、彼らの間違いも指摘して、そしてどこをナーガルジュナが指摘して彼らの理論を崩壊させていったか・・。そういうことがあって、もう一度説一切有部の区別の哲学に戻っていかないといけません。
「ただひとつの本体とただ一つの機能を持っているのが究極的要素である。」有部はこう定義したんです。ところがただ一つの本体にただ一つの機能というものは恐らく何処にも存在しない。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第80回:大乗仏教(中論:意識・心・物)

いつか丁寧に説明するつもりでいるんですけど、今、概念だけ理解しておいて下さい。自性(プラクリティ)が3つに分かれるんです。
───┌意識
自性─┼心
───└物
サーンキヤ哲学の展開論は「意識」の部分なんです。自性から最初に現れた意識、これが大(マハット)と覚(ブッディ)。そこから我執(アハンカーラ)が生まれて意(マナス)が生まれて、五根とかがでてくる。そこを説明しているんです。彼らは自性から心が現われる、自性から物が現われて展開していくところは扱っていないんです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【41枚目】[商品記号:sk-a8182
 第81回:大乗仏教(中論:最高の真実)
 第82回:大乗仏教(中論:本体と現象)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第81回:大乗仏教(中論:最高の真実)

「中観と空」。梶山雄一さんの学会でも非常に高く評価されている論文のようで、この世界の学問的レベルの最高水準の論文をここでは初級で説明しようとしています。 梶山さんの理解によると、中論というのは般若経の神秘家が見い出した最高の真実、最高のレベルでの瞑想体験の上に立って、アビダルマ(説一切有部)の思想を批判する書物である。 ナーガールジュナ(龍樹)の立場を理解するために、彼がいう「勝義」、要するに言葉で表現することのできない真実、瞑想体験はどういうものなのかを知ることから始めよう。 実を言うと、般若経というのは、空・無相・無願という3つの三昧しか言及していないんです。
※般若経の無相三昧とヨーガスートラの無相三昧は、同じ「無相」という言葉でも到達している意識の界層は異なる。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第82回:大乗仏教(中論:本体と現象)

現象しているもの。例えば皆さんが火を本当に燃やすでしょう。必ずそこにだぶって火の本体があるんです。 ここにコップがあります。必ずコップの本体、すなわち幽体が本当にあるものなんです。じゃあコップを割ったらどうなるかというと、しばらくあるんです。割っても。みんながコップを意識しなくなると消えますけどね。実際に瞑想の中で本体というものを説一切有部の人は見ているわけで、現象の背後にそういうものがあるということを知っているわけで・・・。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【42枚目】[商品記号:sk-a8384
 第83回:大乗仏教(中論:原因と結果)
 第84回:大乗仏教(中論:行くものは行かず)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第83回:大乗仏教(中論:原因と結果)

前回「本体と現象」を説明して、説一切有部の人たちとか、プラトン、アリストテレスとかはイデアという形で実体を認めています。実体を認める立場の人は、現象の背後に本体を認めて、本体の方を本来的な物、現象は影として考えている。ナーガルジュナ(龍樹)はこういう考え方を批判しているということを説明したと思います。
本体という立場を認めるならば「原因と結果(ナーガルジュナの言う縁起)」が成り立たないということをナーガルジュナは言おうとしているんです。今日はここの部分に入っていきます。

─────────────────────────────────
『原因と結果の否定』
1)自身から生じる
2)他のものから生じる
3)自他二つのものから生じる
4)原因無くして生じる
この4つが考えられるが、どれも有り得ない。

原因無くして生じるという4)の場合は非存在、無から偶然に生じるのと同じ。それは因果関係の合理的な解釈として問題にならない。
─────────────────────────────────

ところが、現代の物理学は本当にこれを考えているんです。

『アレキサンダー・ヴィレンケン』
アインシュタイン方程式の抱える特異点の難問を、無を考えることで克服しようとしている。
『時空の泡』
『トンネル効果』

 ヴィレンケンの言う無は、まさに私がずっと言っている(サーンキヤ哲学の)自性、常に変化をしている、ものすごく微細なレベルで振動しているそういう無と全く同じ。完全にゼロではなく、計れないレベルでエネルギーレベルが振動している。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

参考映像)ミーミーとうさぎの帽子


第84回:大乗仏教(中論:行くものは行かず)

 今日取り上げるのはナーガルジュナ(龍樹)の有名な「行くものは行かず」「去ることと来ることとの考察と名付けられる第2章」というものです。かなり有名で、いろいろな人が解説をしてます。その中でも最も素晴らしい見事な解説をしているのが「空と無我」定方晃著。この本のここの部分の説明がものすごく見事で、恐らくこれ以上分かりやすい解説は存在しないだろうと言うぐらい見事な解説をしているんです。
この本の内容をとって、ナーガルジュナが言わんとしていることの真意を汲み取ってもらおうということです。そして彼の論理の限界が、それをちゃんと吟味することで見えてくる。そしてその限界を見極めて、彼の良い所と、それ以上の所を理解するということで、まず、素直にナーガルジュナの言うことを理解が出来ると、彼が言っていることは・・・。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【43枚目】[商品記号:sk-a8586
 第85回:大乗仏教(中論:四句否定)
 第86回:大乗仏教(中論:ナーガルジュナの宗教)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第85回:大乗仏教(中論:四句否定)

通常の常識の範囲内での言葉の使い方と、仏教徒、特にナーガルジュナや中観派と言われる人たちが使う言葉の使い方にものすごく大きな隔たりがあるんです。特に多くの人に理解しがたいものの中に「四句否定(テトラレンマ)」というのがあります。論理学的に意味をなさないんですけども、これが分かると、言葉の問題の難しさがある程度明晰に理解できるようになります。

四句否定:「有でなく、無でなく、有無でなく、両者の否定でもない、四句を超えた真実を中観者は知る」
ゲーテ:「論理という世界観では世界を説明できない」

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

参考サイト)ボーアの相補性とゲーテの色彩論について

第86回:大乗仏教(中論:ナーガルジュナの宗教)

これまで般若経の世界観のアウトラインからナーガルジュナの議論を細かく見てきました。それでだいたいどんなことを言っているか、分かったと思うんですね。これぐらいいろいろ説明していると、今は中観派、ナーガルジュナのいわんとしていることというのはかなり明確に分かるようになっていると思います。ですから今日は最後にナーガルジュナの宗教ということで、彼がどういうことを言っているかということを通してざっと見てみたいと思います。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【44枚目】[商品記号:sk-a8788
 第87回:大乗仏教(中観と空:背理法)
 第88回:大乗仏教(中観と空:認識論)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第87回:大乗仏教(中観と空:背理法)

 前回で中論を終え、これからは中観派の発達発展を見てみたいと思います。本当なら、中観派が出たあと唯識派が出て、それを統合する形で後期中観派が全部をまとめてしまうのです。要は後期中観派によって、切一切有部、経量部、ナーガルジュナの空の思想、唯識派が序列で並べられ、大乗仏教の壮大な修行体系として完成するのです。事実上、後期中観派の仏教思想によって大乗仏教は完成したと言っていい。それでまず、完成した姿を見ていただこうと思います。それを先に見ておいてから、後で唯識派の思想を見ていただいた方が分かりがいいだろうということです。中観派がどのように展開していくかを見てみたいと思います。
・・・・
結局中期中観派がナーガルジュナの思想を論理によって説明したいという誘惑に駆られた。このときに方法が2つあって、2つの方向に分裂してしまう。帰謬論証派と自立論証派。帰謬法とは背理法のことなんです。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第88回:大乗仏教(中観と空:認識論)

 後期中観派では、大乗仏教の思想が体系化されて完成していくのですが、今日はそれに入る前に、認識論(それぞれの大乗仏教の派が世界をどのように見ているか)を見ていきたいと思います。一番素朴な立場は、自然の世界が私たちと全く関係なく外界にそのまま実在しているという見方です。
 いろいろなものの見方をするわけですが、それにはざっと見て4種類あります。
・説一切有部:無形象知識論(外界をそのまま写しとしてみている)
・経量部:有形象知識論(物自体は知り得ない)
・無形象唯識派
・有形象唯識派

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【45枚目】[商品記号:sk-a8990
 第89回:大乗仏教(中観と空:光り輝く心)
 第90回:大乗仏教(中観と空:ヨーガの階梯)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第89回:大乗仏教(中観と空:光り輝く心)

 前回は仏教のいろいろな認識論、彼らが外界をどのように認識しているかを説明しました。有部と経量部は外界を存在するものと認識していた。唯識派は外界は存在しない、心だけが存在すると認識していた。その唯識派の中にも2種類あって、表象の世界は存在するとする有形象唯識派と、それすらなくて光り輝く心こそ最高の存在であるとする無形象唯識派という2派があるわけです。そういう仏教の認識論、何を最高実在と見るかの歴史発展の中で、だんだんと大乗仏教の論理や修行の方法が確定していくわけです。それを完成させたのがシャーンタラクシタという後期中観派の仏教僧と言って良いと思います。
 認識論を丁寧に説明しているのは、ここのところを理解することによって、唯識派の言っていることが良く分かるのです。先に大乗仏教の全体像を把握していくことで、唯識派の言うことが明晰に分かるようになる。そういう観点からこだわって説明している訳です。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第90回:大乗仏教(中観と空:ヨーガの階梯)

 シャーンタラクシタの思想によって中観派と唯識派が統合され、大乗仏教の思想体系が大きな全体像を結び完成します。今日の講義で大乗仏教がどういうことをやっているのかの大きな流れが見えます。
 小乗仏教はあくまで阿羅漢の境地を最終目標にしている。それは仏陀の境地には遙かに及ばず低いレベルだと認識していたけれども阿羅漢という聖者の境地に到達すればそれでよしとしていた。
 大乗仏教になると、仏陀を目指すべきであるということで菩薩行がでてきて、小乗仏教の論理もその中に取り込んで最終的な目標は仏という形で修行体系と理論の理論付けを行っていった。そのときに唯識派や中観派の理論を取り込んで、小乗仏教の理論も取り込んで、(彼らから見れば)壮大な体系をつくり、仏になるための一直線の道を整備した。   今日の講義で大乗仏教の修行の形の全体像が見えるということで、とりあえず中観派の理論は終わりに出来るかなと思っています。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【46枚目】[商品記号:sk-a9192
 第91回:大乗仏教(般若心経:条件づけ)
 第92回:大乗仏教(般若心経:気付き)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第91回:大乗仏教(般若心経:条件づけ)

 今日から般若心経の説明に入っていこうと思います。学術的、仏教学的な説明もしないといけませんが、最初からそれをやるのではなく、般若心経の実用的な理解の仕方という観点で大変良い本があります。
「声に出して読む般若心経」山名哲史著、明日香出版社
 般若心経の本は沢山出ていますが、特に良い本です。ただ、仏教の歴史的立場から般若心経を解説した本ではなく、どこまでも実践的に、自分自身の生活の中で役立てていくような読み方をしています。般若心経は非常に重要なお経で、おそらく大乗仏教の最高峰だと思います。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第92回:大乗仏教(般若心経:気付き)

 前回に引き続き「声に出して読む般若心経」(山名哲史著、明日香出版社)。ここから抜粋してエッセンスを紹介をしています。具体的にどうするかというのが今日の内容ですが、著者が非常に重要な内容を言ってくれています。
『瞑想の目的はなにかというと、普段の生活の中では外界に条件付けられて自動的になってしまっている我々の行動を、その条件付けから解き放つというところにあります。・・・。』 一つの例ですけど、「正念」とは気付きのトレーニング段階。最初は簡単なこと、自分の体の動きに気付いていなさいということになります。
「正定(瞑想)」になると、自分の想念に気付いていないといけません。自分が何を考えているか。頭の中で考えているおしゃべりに気付きながら動いていないといけません。思考に気付きながら動いている。思考は必ず過去のものなので、思考に引きずられて考え事をしている時は、過去に生きているわけです。でも思考も見つめながら世界を感じているときには、「今、ここに」生きているわけです。これが瞑想です。そうすると、どこでもできます。瞑想というのは、自分の頭の中で考えていることに気付いているということです。意識が、心と身体に気付いているということです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【47枚目】[商品記号:sk-a9394]
 第93回:大乗仏教(般若心経:対岸の「知」)
 第94回:大乗仏教(般若心経:全文訳)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第93回:大乗仏教(般若心経:対岸の「知」)

 今回は「現代語訳 般若心経」(玄侑宗久著、ちくま新書)。とてもいい本です。般若心経のスタンダードな解釈で、非常に分かりやすい文体で書いてあり推薦図書の一つです。何より素晴らしいと思ったのは、この人が出している文体の光が美しい。今回と次回、この本から抜粋して般若心経のスタンダードな解釈を紹介をするのですが、本当は全部読んでいただくのが一番いいわけです。般若心経の全文の解釈に力点をおいた講義になるので、非常に上手い例えがいっぱいあるのですが全部削らざるを得ず、実際にこの本を読んでいただくしかないのかなと思います。この本を学んでスタンダードな解釈を理解することによって、違う角度から見た解釈がよりくっきりと浮かび上がってくるのです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第94回:大乗仏教(般若心経:全文訳)

 前回、般若心経を「現代語訳 般若心経」(玄侑宗久著、ちくま新書)で解説をしているのですが、今回は残りの部分の解説をして、最後に玄侑氏の全文の訳を(提示します)。非常に良い訳をされています。 
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【48枚目】[商品記号:sk-a9596]
 第95回:大乗仏教(般若心経:有部と龍樹)
 第96回:大乗仏教(般若心経:全文訳2)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第95回:大乗仏教(般若心経:有部と龍樹)

今回取り上げる本「般若心経の空とはなにか」(武田紀久雄著)。市販されているものではなくて、素人の方が勉強されて般若心経を自分はこんな風に読むとということを、一冊の本にまとめられたものなのです。素人の方なので、ズバンと核心を突いているところがあります。前回プロの方の著書「現代語訳 般若心経」(玄侑宗久著)は非常に良い本だと紹介しましたが、本のできが優れているのです。それに比べると専門家ではないので良く練られてないなと思うところはあるのですが、かえってその方が良く分かる。本質には差が無くても見る角度によって見え方がかなり違い、般若心経の多面性が分かるので紹介したいと思います。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

武田紀久雄氏のサイト)「般若心経の空とはなにか」
http://takihisae.blog.shinobi.jp/

第96回:大乗仏教(般若心経:全文訳2)

これまで説一切有部それからナーガルジュナの思想を勉強してきたのですが、それがこの本「般若心経の空とはなにか」(武田紀久雄著)では非常に上手く簡潔にまとまっていたので、(この本を使って)前回復習をしました。彼らの主張を理解した上で般若心経を見ると非常に良く分かるのです。今日は般若心経の全文をこの方(武田氏)の解釈にもとづいて見てみたいと思います。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【49枚目】[商品記号:sk-a9798]
 第97回:大乗仏教(般若心経:尾題)
 第98回:大乗仏教(般若心経:羯諦咒)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第97回:大乗仏教(般若心経:尾題)

「真釈 般若心経」(宮坂宥洪著、角川ソフィア文庫)これは般若心経の解説本として重要なもので、最も優れたものの一つだと思います。通常の般若心経の解説本とは全く異なっていると云うことです。これをHP上で見つけた瞬間にこれだと思いました。僕が言おうということを言っている人は一人もいないわけで、般若心経の意味を正しく理解しているという本はないんです。 穴を埋めるための本はないかと探した時にこれが見つかった。本をめくったときに「これだ」ということが書いてあり、非常にありがたい本。この本のお陰で、僕が言っていることがあまりにも突拍子もないことではないと、丁度間を埋めてくれるレベルになっているんです。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第98回:大乗仏教(般若心経:羯諦咒)

 前回に引き続き「真釈 般若心経」(宮坂宥洪著、角川ソフィア文庫)。その後半の部分。
 涅槃という言葉は、仏教では「燃えさかる煩悩を吹き消した悟りの境地」をいうとされていますが、これが納得できないのです。涅槃という言葉は、解脱を実現したその人の意識のレベルである、それを涅槃というのなら分かりますが、あらゆる煩悩が吹き消えた状態といったらこれは違う。これは別の話をしているということになるのです。ですから非常にまずい言語的解釈です。
(著者は)それを説明してくれていて、「ニルヴァーナ」の語源が「吹く」ということば「ヴァー」から派生した名詞だと考えられているから。
 ところがバーリ語研究者の間では「ニルヴァーナ」の語根は「ヴァー」ではなくて「ヴリ(覆う)」ではないかとされています。空海は「妨げのない自由な境地が涅槃には入ることである」と言っていて、これは明らかに空海が「ニルヴァーナ」の語根が「ヴリ(覆う)」だと考えていたことが分かります。だから涅槃というのは、覆いのない妨げのない状態。覆いとか妨げというのは、たぶん五位七十五法で説明されるようなダルマ。覆うものがダルマで覆われるのが心。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【49枚目】[商品記号:sk-a9798]
 第97回:大乗仏教(般若心経:尾題)
 第98回:大乗仏教(般若心経:羯諦咒)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第97回:大乗仏教(般若心経:尾題)

「真釈 般若心経」(宮坂宥洪著、角川ソフィア文庫)これは般若心経の解説本として重要なもので、最も優れたものの一つだと思います。通常の般若心経の解説本とは全く異なっていると云うことです。これをHP上で見つけた瞬間にこれだと思いました。僕が言おうということを言っている人は一人もいないわけで、般若心経の意味を正しく理解しているという本はないんです。 穴を埋めるための本はないかと探した時にこれが見つかった。本をめくったときに「これだ」ということが書いてあり、非常にありがたい本。この本のお陰で、僕が言っていることがあまりにも突拍子もないことではないと、丁度間を埋めてくれるレベルになっているんです。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第98回:大乗仏教(般若心経:羯諦咒)

 前回に引き続き「真釈 般若心経」(宮坂宥洪著、角川ソフィア文庫)。その後半の部分。
 涅槃という言葉は、仏教では「燃えさかる煩悩を吹き消した悟りの境地」をいうとされていますが、これが納得できないのです。涅槃という言葉は、解脱を実現したその人の意識のレベルである、それを涅槃というのなら分かりますが、あらゆる煩悩が吹き消えた状態といったらこれは違う。これは別の話をしているということになるのです。ですから非常にまずい言語的解釈です。
(著者は)それを説明してくれていて、「ニルヴァーナ」の語源が「吹く」ということば「ヴァー」から派生した名詞だと考えられているから。
 ところがバーリ語研究者の間では「ニルヴァーナ」の語根は「ヴァー」ではなくて「ヴリ(覆う)」ではないかとされています。空海は「妨げのない自由な境地が涅槃には入ることである」と言っていて、これは明らかに空海が「ニルヴァーナ」の語根が「ヴリ(覆う)」だと考えていたことが分かります。だから涅槃というのは、覆いのない妨げのない状態。覆いとか妨げというのは、たぶん五位七十五法で説明されるようなダルマ。覆うものがダルマで覆われるのが心。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【50枚目】[商品記号:sk-a99100]
 第99回:大乗仏教(般若心経:自性空)
 第100回:大乗仏教(般若心経:般若心経のマントラ)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第99回:大乗仏教(般若心経:自性空)

今回と次回、私の般若心経の解釈を説明したいと思います。宮坂さんの「真釈般若心経」の中から取りだしてそれに対して解釈をしていきたいと思います。 ―――――――――――――――――――――――――――――
【漢訳本文】照見五蘊皆空
【読み下し】五蘊は皆空なりと照見して
【原典和訳】五蘊あり、しかもそれらは自性空であると見極めた
―――――――――――――――――――――――――――――
読み下しでは「五蘊はみな空なり」となっているのが、サンスクリット語の原典では、「五蘊あり」と五蘊が存在することをまず断定していて、次に「それが自性空であると見極めた」となっています。五蘊はみな空なりでは合わないんです。  般若心経の空は「シュニャータ」、通常の意味合いの空は「シューニャ」。般若心経の空(シュニャータ)は独特の意味合いの言葉になっていて通常の空とは違うのです。それを説明するのに「自性空」といっているのです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第100回:大乗仏教(般若心経:般若心経のマントラ)

後半のマントラ部分の解説となります。 本文の最初の部分の「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄」と、最終の部分の「故、説般若波羅蜜多咒。即説咒曰。羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提、娑婆賀。般若心経」を除く全文が、『大品般若経』から抽出されたかたちで構成されています。それだけに付け加えられた2つの文章が非常に重要だと云うことになります。 ―――――――――――――――――――――
三蔵法師玄奘がインドに向う途上、空慧寺の道場で病に苦しむ僧がいて看病をしたところ、『般若心経』を授かり、この経を誦してゆけば災難から逃れられると教えられた。果たして無事にインドに到着した玄奘が目的地であるナーランダー寺に赴くと、そこになんと、かの病僧がいた。驚く玄奘に、私は観自在菩薩であると告げて姿を消したというのです。
―――――――――――――――――――――
これは非常に重要なことで、玄奘はそういう不思議な体験をしている。この僧が般若心経の作者で、玄奘に口述したのです。恐らくこれは本当で、彼の霊導をしていたのが中天に消えた観自在菩薩と云うことです。マントラというのは、その意図を伝えられて、直接教えられない限り効力を持たないのです。ガヤトリーマントラがあるので唱える必要がありませんが、自性と合一するための専用のマントラなので、悟りを得たい、全知性を得たいというレベルでは、羯諦咒は非常に有用だろうと思います。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【51枚目】[商品記号:sk-a101102]
 第101回:大乗仏教(唯識説:識の変化)
 第102回:大乗仏教(唯識説:数々の矛盾)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第101回:大乗仏教(唯識説:識の変化)

今日から唯識説を説明したいと思います。使うテキストは2冊。

1)「認識と超越〈唯識〉」服部正明、上山春平著、角川ソフィア文庫
 なかなかよくまとまっている良い本なのですが、全く何も知らない初学者の人がこれを最初に読むと、たぶん全く分からないだろうと思います。ただ、この宗教学講座を前の方から観ていただいている方は、ほとんどの知識、仏教、サーンキヤ哲学、中論などを知っていますので、その知識を前提にして読むとかなり分かりやすく、非常に上手くまとまっているということです。

2)「唯識思想入門」 横山紘一著、レグルス文庫
 これは分かり良いです。前半は歴史、後半が思想の内容を説明してあるのですが、ものすごく(ページ数が)薄いのです。唯識の思想がこんなにぺらぺらで説明ができるのかというと、できるのです。唯識の思想の要点はコンパクトにまとまっているものなのです。そこに大量の間違いが含まれているので、訳が分からなくなってしまっているのです。 (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

参考)ブログ「光の海から」5月4日のヴィジョンと竹下雅敏氏による解説

第102回:大乗仏教(唯識説:数々の矛盾)

前回も説明しているように、唯識説は本当に支離滅裂なもので、今回とくにそれが沢山でてきます。講義は難しいのですが、彼らの言わんとしているところを理解しながら、間違いもまたきちっと理解して進んでいかないといけません。
「唯識思想は、外界の事物と自己の存在を否定する。たしかに山もあり、花もあり、自己もあるが、しかし、これらすべては自己の心的活動内の現象にすぎないのである。」
山も花も自己も本当にあるのではないと言いながら、「自己の心的活動」と言っている。この「自己」は何を言っているのか分からない。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【52枚目】[商品記号:sk-a103104]
 第103回:大乗仏教(唯識説:輪廻の主体)
 第104回:大乗仏教(唯識説:四分説)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第103回:大乗仏教(唯識説:輪廻の主体)

「唯識思想入門」(横山紘一著、レグルス文庫)から唯識思想の基本的概念を説明したいと思います。前回説明したように、サーンキヤ哲学は自己(プルシャ)と自性(プラクリティ)を実在すると認めて、自性から最初に大(マハット)と覚(ブッディ)の合わさったものとして心(チッタ)が現れ、それが次々に展開していくとしています。仏教は自己、自性を一切認めません。心から先の「五蘊」が、前回説明したように、24の実在原理となるわけです。ヨーゲシヴァラナンダはこれに「心素(しんそ)」を加えて25の実在原理としました。それぞれを実在と捉えているのですが、仏教は実在、実体を認めませんので、本質のない空なるものと捉え直すのです。心を同じ意味の識で書き換えるわけです。心(チッタ)を阿頼耶識(あらやしき)、我執(がしゅう)を末那識(まなしき)、意(マナス)を意識、十根に相当するところが前五識に相当する。五唯と五大のところは、仏教は「対象」と考えていますので客体という形になります。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第104回:大乗仏教(唯識説:四分説)

 前回に続いて「唯識思想入門」(横山紘一著、レグルス文庫)で唯識論を説明したいと思います。今回は末那識(自我意識)と全体について、僕流の解釈をして説明したいと思います。
 唯識論は、我執、意、十根の部分が主観、五唯、五大が客観と考えています。 自己(プルシャ)、自性(プラクリティ)は考えていない。心(チッタ)を阿頼耶識、我執を末那識、意を意識、十根を前五識。五唯・五大を客観と考えています。
 主観と客観を唯識論はどう考えているかということを見ていきたいと思います。西洋で言う主観ー客観に対応して、仏教では心ー境、能縁ー所縁という言い方をします。能縁ー所縁は阿毘達磨(アビダルマ)仏教以来の用語で、西洋で言う主観と客観に相応する最も典型的な言葉です。ところが主観と客観は、いずれか一つだけ単独に存在できるものとして考えられている。しかし能縁と所縁は両者が相互依存関係をもつものと捉えられています。仏教は独立したものとして主観と客観を捉えず相互に依存し合っていると考えるのです。
 相互に依存しているというのは、前回、阿頼耶識縁起で説明したように、阿頼耶識に種子(しゅうじ)があって、それがもとになって客観としての表象(イメージ)が出てくる。それが出てきたらまた種子を植え付ける。ここの循環があるということでした。それで阿頼耶識から現れた主観が種子から発達したイメージを見ているという状況でした。ですから(主観と客観は)独立したものとしては存在しないわけです。自分の心が自分の心を見ている、そういう感覚で捉えています。 ――――――――――――――――――――――――――
唯識喩伽行派の人々は、客観と主観との背後に、更に別の心的作用を設定し、四種類の心的領域を区分するにいたった。これを四分説といい、唯識思想の重要な教理の一つである。
(1)相分、(2)見分、(3)自証分、(4)証自証分 ――――――――――――――――――――――――――
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【53枚目】[商品記号:sk-a105106]
 第105回:大乗仏教(唯識説:三性論)
 第106回:大乗仏教(唯識説:仏の四智)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第105回:大乗仏教(唯識説:三性論)

三性論という唯識論の一番難しい所を「大乗仏典〈15〉世親論集」(中公文庫)を使って説明したいと思います。三性論の意味をちゃんと理解している学者、研究者はまずいないんです。どんな解説書を見ても的が外れている。
「空と無我」(定方晟著、講談社現代新書)の三性論のところを見ると、こう書いてあります。
―――――――――――――――――――――――-
 三つの存在様式。世界を認識するときに、3つの認識の仕方があるす。唯識三十頌によると、三性というのは、遍計所執性、依他起性、円成実性。ものはこの3つのあり方において存在する。私はこの教義の意味するところを次のように推測する。
遍計所執性:「外界に」という一般の人が持っている感覚。通常の認識の仕方。
依他起性:何らかの他の力によって存在。
円成実性:覚者の洞察に対応する存在様式。
―――――――――――――――――――――――-
唯識論の一番難しい所なんですが、なぜ難しいかというと、唯識学派には2つの学派、有形象唯識論と無形象唯識論があるのです。この2つの学派で三性の解釈の仕方が違うのです。これが大混乱の原因です。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第106回:大乗仏教(唯識説:仏の四智)

前回、三性論を説明したんですけども、今日は続きで以前から使っている梶山雄一さんの著作集「中観と空」の中で、それに触れている部分がありますのでそれを紹介したいと思います。なおかつ三性論を補っていかないといけない部分がありますので、それを付け加えたいと思います。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)
 


【54枚目】[商品記号:sk-a107108]
 第107回:大乗仏教(唯識説:中辺分別論)
 第108回:大乗仏教(如来蔵思想)
 
構成:DVD1枚、価格2100円

第107回:大乗仏教(唯識説:中辺分別論)

「大乗仏典15 世親論集(中辺分別論)」中公文庫。
これを取り上げて唯識説の締めくくりにしたいと思っています。

もう一度復習したいと思います。マイトレーヤ(弥勒菩薩)の立場で説明をします。

外界に物がある。それが心の中に映像として映る。それを見ている(照明)ということでした。この外界と内界が実在するという立場、それが遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)。ところが依他起性(えたきしょう)は、心の中は実在するが外界の物は存在しない。円成実性(えんじょうじつしょう)は照明だけが存在し、それ以外は存在しない。

外界に物が存在しない、ただ識があるというのが唯識説。ただ依他起性では、その中に一番実在性の濃いものとして照明作用、空性がある。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第108回:大乗仏教(如来蔵思想)

 日本に非常に大きな影響を与えた本覚思想。そこに流れ込む重要な思想に如来蔵思想があります。大事な部分なので押さえておこうと思います。
如来蔵が自性清浄心(=光り輝く心)であるということを簡単に触れました。そこの部分をもう一度きちんと押さえて、如来蔵思想がどういったものなのかをつかまえていきたいと思います。 今日使う本は、
「大乗仏典12 如来蔵系経典」中公文庫 「認識と超越〈唯識〉」角川ソフィア文庫 「三界にあるすべての衆生は、みんな仏になる可能性をもっている」という思想が如来蔵の思想。その可能性を仏性ともいう。
 如来蔵=仏性=法身=アーラヤ識=自性清浄心=真如=実相=法界=円成実性=法性=光り輝く心
(同体異名)
心(チッタ)のなかの大(マハット)と覚(ブッディ)。本質的には大が如来蔵であることが分かります。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【55枚目】[商品記号:sk-a109110]
 第109回:大乗仏教(如来蔵思想は仏教ではない)
 第110回:大乗仏教(本覚思想)
構成:DVD1枚、価格2100円

第109回:大乗仏教(如来蔵思想は仏教ではない)

「如来蔵経」というのがあって、そこから「不増不減経」「勝鬘経(しょうまんぎょう)」という形の流れが出来てきて、「如来蔵(にょらいぞう)」というのがあるということです。それは、真如(しんにょ)、法性(ほっしょう)というのを全ての衆生(しゅじょう)は持っている。という思想だったわけです。 如来蔵の思想と同じ「仏性(ぶっしょう)」という考え方があって、それは「涅槃経(ねはんきょう)」に書いてある。ここで初めて仏性という言葉が使われたわけです。
今回、涅槃経の中から一文を取り出して見ていくのですが、前回、如来蔵、仏性に関して、アートマンに相当するような語句が使われていて、非常に紛らわしい。この講座ではそれはアートマンではなくて、それ(真如)をアートマンと同一視するのは間違いであるという説明をしたと思うのですが、その根拠となるのがこの経典なのです。仏性、如来蔵というのが、本来その「空」であって、実体を認めないはずの大乗仏教が、あたかも実体として認めているかのように見える記述をしているわけです。非常にそのへんがきわどい問題で、仏性とか如来蔵を認めて唯識論が成り立っているので、唯識説が如来蔵を認めているそちらの方向の流れの思想なのです。ところが、ナーガルジュナ(龍樹)はそのようなものを認めるはずがありませんから、僕から見ると大乗仏教は言っていることが、それぞれの派によって、全部ばらばらであるにもかかわらず、大乗仏教として一つのまとまりを見せている。だから、素人が本を読んで学ぶ上では非常に分かりにくいものになっている。

参考サイト)「如来蔵思想は仏教ではない」松本史朗( http://fallibilism.web.fc2.com/001.html )
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第110回:大乗仏教(本覚思想)

日本で花開いた「本覚思想(ほんがくしそう)」というものがあるのです。本覚思想といってもいろんなとらえかたがあるので、ちゃんとした定義はないのですが、「日本仏教史」(末木文美士著、新潮文庫)は非常によくまとまっています。
「草木でも成仏できる」
これが本覚思想といわれるものの一番大きな部分をなしている思想。これがどうして如来蔵思想の発展形になるかというと、前回紹介した「涅槃経を読む」にはこう書いてあるのです。
「大乗涅槃経には、山とか川とか草木に仏性はないと説いていたにもかかわらず、中国仏教や日本仏教では、山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)が説かれ、更には山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしつかいじょうぶつ)」
すなわち、全てのものには仏性があって、皆いずれは成仏するという思想になっている。これが本覚思想です。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【56枚目】[商品記号:sk-a111112]
 第111回:大乗仏教(禅:臨済録)
 第112回:大乗仏教(禅:禅の思想)
構成:DVD1枚、価格2100円

第111回:大乗仏教(禅:臨済録)

禅についてお話ししたいと思います。日本では臨済宗と曹洞宗が知られています。曹洞宗はただ座禅をするということなので非常に分かりやすいわけですが、臨済宗は、公案(禅問答)があって、ちょっと分かりにくい。ですから臨済宗を中心に禅の話しをしてみたいと思います。
今日使うテキストは、岩波文庫の「臨済録」(朝比奈宗源訳註)。
臨済は中国の人だということは押さえておかないといけません。臨済が到達した意識の段階は「顕在意識」で、彼の言う「仏性」は顕在意識レベルのことで王陽明の「良知」に相当します。朱子はそれを「理」「性」と呼んだわけです。また、顕在意識レベルに到達した人を孟子は「大丈夫」と言ったのです。それが「信に徹しきれている人」「悟りを得た者」。大丈夫の人はどんな人かというと、臨済のような人なのです。
孟子「4つの徳が達成されると、毅然とした精神力がみなぎってくる。この精神力はやましくなければ憂いも恐れもないという良心に基づく勇気である。更に自分が正しいと確信できればたとえ敵が千万人いようと堂々と進んでいくという壮大で積極的な気概を示すものである。こうした何者にも動じない不動の精神力を身につけた人を孟子は大丈夫と呼んで、理想の人間像とした」
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第112回:大乗仏教(禅:禅の思想)

前回、岩波文庫の「臨済録」(朝比奈宗源訳註)を使ってその書かれている内容を検討しました。臨済宗というのは「喝」や「棒」というのもありますが「公案(禅問答)」も特徴的な宗教なのです。これが何をやっているのかということが興味深いので、そちらの方を中心に、禅の思想という形で見ていきたいと思います。
公案:禅の修行者が悟りを開くために課題として与えられる問題。
例)『隻手声あり、その声を聞け。』(※片手で叩く音を聴きなさい)
江戸期に活躍した臨済宗の中興の祖と称される白陰禅師が修行者の前で問うた公案。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【57枚目】[商品記号:sk-a113114]
 第113回:密教(密教の伝播)
 第114回:密教(梵我一如)
構成:DVD1枚、価格2100円

第113回:密教(密教の伝播)

 密教は、大乗仏教の中に入るという見方もありますが、大乗仏教の密教とヒンドゥー教の密教は、ほとんど区別がつかないわけで、ここでは広く捉えて、インドの密教、チベットの密教も合わせて、広く密教としてトータルに扱おうと思います。ただその中に空海の思想もちょこちょこ出てきます。
 テキストは「密教」(松永有慶著、岩波新書)。この方は密教の大家、非常に著名な方です。今日の話しは密教の大きな流れで、要点は何なのか、何を言おうとしているのかを押さえていこうと思います。
 もともとタントラという言葉の意味は、「縦糸」という意味のサンスクリット語から来ています。通常は「隠された意味」と訳され、だから「密教」なのです。師から弟子へ口伝で伝承される内容で、文献として書かれていないことがほとんどなのです。

 また、シャクティ派という女性原理を重視する派があり、この派は性的な技法を用いることが多いので、これがタントラと結びついて解釈されることが多く、タントラと言ったらエロティックな何かと結びつくイメージがついて回ります。タントラ自体は非常に正常なものと邪悪なものの二つに分かれます。ラーマクリシュナも一時、女師匠についてタントラを修行していました。彼によって、タントラという技法がまともなものであるということが証明されているわけです。

 梵我一如、大宇宙でと小宇宙である人間の一体性を瞑想の中で知る、悟るのが密教の修行で、それを象徴的に表現しているのが曼荼羅(マンダラ)です。これを理解するのは数学が一番いいのです。「フラクタルの世界 入門・複素力学系」。複素関数論を勉強していないと中身は読めない類の本なのですが、非常に美しくて絵だけ見て楽しむこともできます。また、こちらにマンデルブロ集合が描かれています。複素平面上の半径2の円に入る非常に小さなものです。

参考)【動画】FractalNet HD - Slow deep Mandelbrot zoom
  ( http://www.youtube.com/watch?v=9G6uO7ZHtK8 )

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第114回:密教(梵我一如)

前回「密教」(松永有慶著、岩波新書)を使って、マンダラの本質がフラクタル構造にあるんだということをお話ししました。今回別の角度から見てみたいと思います。
よくヒンドゥーの絵画には、神様の身体の中に世界があって、人がいて星があってとか描かれている絵があります。それをプルシャカラヤントラといい、こういう感覚があるのです。西洋ではまず考えられないですが、西洋でたった一人だけそれと同じ事を言っている人がいます。それがエマニエル・スエデンボルグです。彼は無師単独のヨーガ行者といっていい人で、彼は死の技術といって、肉体を抜けだして霊的な世界をずっと探索して、それを本に書いた人です。彼は色んな所に行って、肉体に帰ってくるその経験から「巨大な人間がいる」と言うのです。宇宙は巨大な人間で出来ていると。身体を離れていろんな所を行ってくるんだけれども、それは巨大な人間の体のどこかだというのです。僕は非常に良く理解が出来ます。
 元になる人がいて、その人が生け贄になってその人の体から宇宙が創造されたという原人神話が世界中にあるのです。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【58枚目】[商品記号:sk-a115116]
 第115回:密教(四度加行)
 第116回:密教(胎蔵曼荼羅)
構成:DVD1枚、価格2100円

第115回:密教(四度加行)

「密教」松長有慶著 岩波新書。この本の中から密教が何をしているのかお話しします。
僕は外から見て直感的に、本質的にはこんなことをやっていると分かりますので、そういう部分を説明していきたいと思っています。

瞑想の体系という形で言うと、密教はそんなに高いレベルではないんです。顕教の親鸞であるとか浄土宗、浄土真宗であるとか、特に日本の顕教と比べると若干深いんですが。
これまでずっとお伝えしてきた宗教のレベル、ヤージュニャバルキヤ、初期の仏教、ヨーガスートラ、サーンキヤ哲学の学派の人たちはかなりレベルが高いわけです。それが大乗仏教になると落ちてきた。その最下点まで落ちたのが日本の仏教なのです。ですから僕は日本の仏教が一番低いレベル、大衆化しているという感じがします。逆の見方をすると分かりやすくなっているし、本質が低いところまで届いているわけです。以前説明した本覚思想として花開いた、あれが宗教の到達地点なわけです。ということは宗教は上から下へ降りてくるものなのでレベルは一番低い、けれども一番下まで水が流れ込んできた、ということになるわけです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第116回:密教(胎蔵曼荼羅)

密教は基本的に師から弟子へ口伝で伝わっているものなので、文章として出てこないのです。ですから密教を理解するためには絵として表現されている曼荼羅(マンダラ)を理解するほうがずっとその世界観を理解しやすいのです。曼荼羅がどういう構造になっていて、何を伝えようとしているのかということを理解することで、密教の思想が分かるという感じが僕の中にあるのです。
古来曼荼羅は人々の心を惹きつけてきました。誰もが一度は見たことがあって、みんな知っているわけです。ただ意味が分からないだけです。およそまともな解説をしている本はないという、そういった類のものです。それで三回に渡って曼荼羅がどういうものなのか、詳しく見てみたいと思います。
 密教の講座を始める最初の頃に、既に、曼荼羅はフラクタル(自己相似)の構造を表現しているということを説明しています。核心の部分はお伝えしているのですが、それなら金剛界と胎蔵の二つの違いは何なのか?何を表現しているのかというのは別の問題なので、そういった部分を含めて詳しく見ていく必要があるということです。
実際にチベットのマンダラを見てもらいます。日本の両界曼荼羅とかなり印象が違います。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【59枚目】[商品記号:sk-a117118]
 第117回:密教(金剛界曼荼羅)
 第118回:密教(両界曼荼羅)
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第117回:密教(金剛界曼荼羅)

胎蔵曼荼羅は須弥山(すみせん)思想を絵にしたもので、須弥山を上から見ている絵だということを説明しました。金剛界曼荼羅の方はかなり様相が違います。これをきちんと説明している人は見たことがありません。今日お話しすることは、恐らくどこの本にも書いていないだろうと思います。元々密教というのは言葉にしないようになっていて、一番大事な部分は口伝で言っていますから、それで文章化されていないのだろうという感じはあります。
これが両界曼荼羅の一方の金剛界曼荼羅です。9区画に分かれていて、中心から「成身会」「三昧耶会」・・、と中心から右回りに広がっていく形で通常捉えられています。
今日の内容は「密教」松永有慶著と「図説 マンダラの基礎知識」越智淳仁著の2冊から文章を抜粋して解説用にとってきました。
 私たちがなじんでいる曼荼羅は、曼荼羅の絵としての配置としての完成形であろうと思います。非常によくできていると思っています。
 9項に分かれていて中心から右に回って広がっていく。中心の成身会は完結した仏の世界で、右下の隅に流れていく流れを向下門、仏の救済の道を示します。ところが逆があって、こちらの方を向上門といい、修行により悟りに至る道を示しています。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第118回:密教(両界曼荼羅)

前回金剛界曼荼羅、前々回胎蔵曼荼羅を説明したのですが、空海は「金胎不二」といって、二つの曼荼羅を一体のものと捉えているわけです。それがどういう意味なのかということを説明したいと思います。ここの部分を明快に説明している人を見たことがない、特に金剛界の方がみんなには分かっていないのだろうと思っています。
今日は構造的な部分を説明したいと思っているんですけれども、NHKで「空海」という番組をやっていて、僕が言いたいことの核心の部分を言っているところがちょっとあるのです。それを説明したいがためにずっと最初から準備していたことに気づくはずです。
 ようやくフラクタルやホログラムといった現在の科学、数学の知見を通して、一般の人が知的に理解できるところまで人類の知性が上がってきたということだと思うのです。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【60枚目】[商品記号:sk-a119120]
 第119回:密教(金胎不二)〜数学的観点から見たもの〜
 第120回:密教(宗教の混沌)
構成:DVD1枚、価格2100円

第119回:密教(金胎不二)〜数学的観点から見たもの〜

前回は抽象的に金剛界と胎蔵界のマンダラの構造的関係がホログラムとフィルム、出てくる映像、そういう関係ではないかと表現したわけですけど、今日はもう少し具体的に見ていきたいと思っています。
漸化式:f(Z)=Z^2+c,(※^2は2乗を表す)、Zo=0
複素数の漸化式に次々に代入していくと、どんどん値が変化します。それを反復していくと「c」の値によっては複素平面上で無限の方に画面から消えてしまうものもあるんです。けれども消えないもの、無限大に発散しないという条件を満たす「c」全体が作る集合が、不思議なことに「やつ(マンデルブロ集合)」になる。 これはものすごく不思議で、誰も知らなかったわけです。
マンデルブロ集合の動画で、どんどん拡大していくと、宇宙のようなものが現れて最後に「やつ」が出てきたのですが、「やつ」が結跏趺坐している。花弁が8枚ある、中台八葉院だ! 8枚の花弁にひとつひとつ仏様の絵を描いたらまさしくマンダラになる。マンデルブロート集合は中台八葉院で胎蔵曼荼羅なんだとなんとなく思ったのです。宇宙の全体を表現しているわけです。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


第120回:密教(宗教の混沌)

僕の感想というかまとめという形でお話ししたいと思います。
インドのヒンドゥーの聖地バナラシの沐浴場。ヒンドゥー教徒であると、一生に一度はここに来て沐浴したいと思っているようです。実は同じ場所なのですが、沐浴をするそのすぐ隣で死体を焼いていたりする。ここで死んで死体を焼いてもらって灰をガンジス川に流してもらえると天国に行けると信じられているのです、信仰として。それでそれを望んでいる。そういう言い伝えによって是非ここで灰を流してもらいたいと思っている。
イギリスが統治したときに、あまりにも非近代的でグロテスクなのでやめさせようとしたんですが、現地の人たちの反対が強くてできなかった。

「密教」の著者松永有慶さんは、宗教の良い面を見て評価するという態度の方なので、マイナスの面があるにしてもその中にプラスの面があって、プラスの方向で悟った人もいるはずだという観点から本が書かれているわけです。肯定的な見方をしているのですけれども、僕はどちらかというと否定的に見ているわけで、これはこれまでの霊的な秩序の混乱というのがそのまま出ていると思うのです。インドの国の中に、そして世界の中に表れているんだと思うのです。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【61枚目】[商品記号:sk-a121122]
 第121回:不二一元論(流出論)
 第122回:不二一元論(梵我一如)
構成:DVD1枚、価格2100円

第121回:不二一元論(流出論)

シャンカラの不二一元論(アドヴァイタ)を説明したいと思います。「インドの「一元論哲学」を読む」(宮元啓一著、春秋社)の最初の部分はシャンカラの著作を解説しています。良くまとまっていて非常に優れているので、その部分を取り上げたいと思います。シャンカラは隠れ仏教徒と言われており、その哲学は仏教とほとんど差がありません。唯一の違いは何かというと、アートマンを認めるということです。仏教はアートマンやブラフマンを認めません。ここだけが違うというぐらいで、思想的な部分は仏教に依存しているのです。

これまで非常に長い間、大乗仏教を丁寧に説明してきました。かなり難しいこと、大学の東洋哲学の哲学科の人も分かっていないような、研究者の方もはたと膝を打つ内容をやってきているつもりです。だからこれまでついて来れた方は、シャンカラの不二一元論はものすごく簡単です。仏教はプルシャとプラクリティを認めないが故に支離滅裂になっていて、何を言いたいのか全然分からないということになってしまうし、各派閥によって言っている意味が全部違っています。そういうことが、シャンカラの場合は一人の哲学ですからないわけで、非常に明晰なのです。そういう意味で言うと、最も分かりが良く簡単だということになります。それは大乗仏教の知識を前提として簡単であるということです。大乗仏教とか唯識論、サーンキヤ哲学を全然知らないで、シャンカラの哲学だけ最初に読んだら全く分かりません。歴史的にも順番にそうなっており、前のものの基礎を前提としてある程度理解できている人は、シャンカラが何を言いたいかという要点さえ掴めば、これは非常に明解で簡単、シンプルな哲学であるということです。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

第122回:不二一元論(梵我一如)

前回シャンカラの不二一元論のおおまかなストーリーを説明したのですが、ヴェーダーンタ学派の根本経典「ブラフマ・スートラ」から流出論を排斥することで、ブラフマ・スートラ上手く説明できるようになったということでした。流出論を排斥したという意味合いがどういうことなのかが今回のテーマです。何が問題かということを分からないといけません。それは「梵我一如」の意味なのです。アートマン=ブラフマン、梵我一如の梵とはなんなのか、我とはなんなのか、この言葉の意味が全然定義されていないのです。

サーンキヤ哲学を復習しておきます。

自己(プルシャ)

自性(プラクリティ)→心→我執→・・・

サーンキヤ哲学は二元論です。自性から世界が展開し、自己は何もしないただの傍観者です。自性から世界が流出してそこに帰って行くというのがインド最初の哲学者ウッダーラカ・アールニの「有」の哲学ですから、ウッダーラカの立場で言うとブラフマンは自性(プラクリティ)になるのです。ところが、同時代のヤージュニャヴァルキヤはアートマン(真の自己)ということを言い出して、梵我一如、アートマンとブラフマンの同一性ということを言い出すわけです。そうするとブラフマンが自己ということになります。梵我一如とは何を言っているのか、誰も定義できないということが問題なのです。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)



【番外編】[商品記号:sk-x-dv0102]
 ダ・ヴィンチ・コードの真相  第1回 聖婚[前半]
                第2回 聖婚[後半]
 
構成:DVD1枚、価格2100円

ダ・ヴィンチ・コードの真相  第1回 聖婚[前半]

「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン著、2003年)という本が世界的なベストセラーになりました。ダ・ヴィンチの一連の絵に隠された秘密をもとにストーリーが展開される、エンターテインメントとしてとても良くできた本でした。  実際に、ダ・ヴィンチの絵には何重にも秘密が隠されており、それは霊的な知識を持っていなければ読み解くことが困難なものです。あいにく「ダ・ヴィンチ・コード」に書かれていることには明らかに誤った解釈があると思えます。本を読んだ方が、それをそのまま信じてしまうのは良くないので、正しいことをお伝えすることを考えました。 まず今回(注:第1回、第2回)は「聖婚(ヒエロス・ガモス)」について。ダ・ヴィンチは「岩窟の聖母(ルーブル美術館蔵)」に洗礼者ヨハネからの祝福を押し頂いているイエスの姿を描きました。この絵は秘密が集約された最も重要な絵です。 次回(注:第3回、第4回)は、ダ・ヴィンチの絵に隠された更に驚くべき秘密をお伝えします。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

ダ・ヴィンチ・コードの真相  第2回 聖婚[後半]

 ダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード」の上下巻の情報だけでは、ダ・ヴィンチのメッセージを読み解くことが出来ません。それでまず、ジグソーパズルの足らないピースを集めてきます。そして全体をはめ込んで、「こう見て下さい」と言うと、絵がばっと浮かび上がってくるという構成でお話しします。
★グノーシス(初期の異端のキリスト教)
★マニ教(東方ミトラ教)
★カルデア神学(バビロニアの占星術、ゾロアスター教)
★イスラム教神秘思想(スーフィー、ベクターシュ教団)
★フィリポの福音書、注)
★洗礼者ヨハネ

注釈) フィリポの福音書:1945年にエジプトで見つかったナグ・ハマディ写本に含まれていた初期キリスト教のグノーシス主義的な文書。正典に取り入れられなかった外典の一つ。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)




【番外編】[商品記号:sk-x-dv0304]
 ダ・ヴィンチ・コードの真相  第3回 聖杯伝説[前半]
                第4回 聖杯伝説[後半]
 
構成:DVD1枚、価格2100円

ダ・ヴィンチ・コードの真相  第3回 聖杯伝説[前半]

 イエスとマグダラのマリアが「聖婚」の関係にあり、二人の子孫をシオン修道会が守っているというのがダン・ブラウンの主張です。しかしシオン修道会の総長はそれを否定しており、ダン・ブラウンの主張は完全に崩れています。
 一般に「聖杯」は、イエスが磔に処されたときにその血を受けた杯であると理解されています。しかし第1回第2回でお話したように「聖杯」には聖婚、そしてマグダラのマリアと繋がる隠された意味があります。「聖杯伝説」に伝えられている“血がしたたる槍(剣?)や大皿に載せられた斬首された頭。この頭が誰で、その人物と伝説の主人公の関係がわかれば呪縛を取り除く方法が分かる”という謎めいた言葉の意味が理解できると、ダ・ヴィンチ・コードの“真相”が明らかになってきます。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)


ダ・ヴィンチ・コードの真相  第4回 聖杯伝説[後半]

 聖書にはベタニアのマリアとマグダラのマリアという二人のマリアが登場します。
 イエスに妻がいて、その子孫がいるというダン・ブラウンの説は、この二人のマリアが同一人物であるという仮説の上に成り立っています。イエスの足に香油を注いで髪でぬぐったのはベタニアのマリアとされています。これは聖婚の儀礼であり、ベタニアのマリアとイエスが「聖婚」の関係にあったと考えられます。  一方、イエスの復活を見届けたのはマグダラのマリアとされていて、フィリポの福音書には「主のつれはマグダラのマリアである」と書かれています。これはマグダラのマリアとイエスの深い関係を示しています。
 これだけを見れば二人のマリアは同一人物のように思えます。しかし、ベンジャミン・クレーム著「マイトレーヤの使命 第二巻」に記されている情報によれば、二人のマリアは明らかに別人です。イエスには二人の妻がいたのでしょうか?
 この謎に関わるパズルのピースが全て揃ったとき、驚くべき真相が出現します。
(講演内容を元に脚色編集:文責ユニティ・デザイン)