【経営】年商1億売り上げる新鮮野菜直売所が出来上がるまでの話


この記事を読むと、直売所を立ち上げるのに必要なのは「商い」の感覚と「人間力」らしい。

引用元)「1日1時間の作業で月収30万 おっさんの独り言」 2015/02/23

年商1億売り上げる新鮮野菜直売所が出来上がるまでの話

 

現在の仕事に就く前にホームセンターのバイヤー(食品から建築資材までの約5万点の仕入れ責任者)の仕事を数年間していました。ホームセンターの部 門数は20部門あり、1、木材2、電動工具3、塗料….と言ったように大分類で分けられていて、私の主な仕事は、全ての部門の数百社ある問屋メーカーとの 商談することで、ほぼ毎日出勤していました。もちろん売り場に出てお客さんの接客をすることも多くありました。

そんな多忙な中、当時の社長から新たなる指令が下されました。それは..

「店頭の20坪のスペースを使い野菜の直売所を作れ」

というものでした。今でこそ、野菜の直売所はいたる所にありますが、当時はまだ野菜の直売所というのは農家さんが個人で道端で無人販売をやっている 程度でした。正直乗り気ではありませんでした。日々の忙しさもあって多少、後回しにしていた感じになっていたと思います。しかし、ワンマンな社長はやると 言ったら必ず実行する人でしたので、暗黙の押し(?)みたいな空気で、自分ともう一人「直売所」専任の担当者を付けて実行していくことにしました。

まず、最初にやったことは、生産者集め。とにかく、店舗周辺約20kmの野菜生産者に声をかけました。「あなたの作った野菜を一部でもいいので委託 (売れた分だけ支払う、残ったら返品する)させてくれませんか?」「ホームセンターの入口に野菜販売コーナーを作りたいので協力してくれませんか?」と、 畑で作業している農家さんや、ホームセンターに農業資材を買いに来られるお客さんに片っ端から声をかけていきました。

すると……全てNO!「まあ、いつかね…」と濁される感じ…え?なんで?一応、当時ホームセンターでは地域一番店の販売実績と集客があったので、出品しないってことはないだろうと思っていたところ全ての農家さんが出品しないという返事でした。

(当時は委託販売事態があまり習慣としてなかったので、全品買い取ってもらわないと出品しないよ、ということでした) 正直、天狗になっていた自分にはショックでした。休みを削ってのこの間約3ヶ月の営業は無駄なものに終わったと凹んでました。あーもうめんどくさい、あま り関わりたくないからもうほっておこう、現状の仕事が忙しいんだから、野菜の直売所はもう後回し!と、しばらくの放置状態に入りました。

数日すると社長は自ら(運転手を連れて)あちこちの無人野菜販売所へ出向いて、丸ごと野菜を買い占めて来ました。腰の曲がった年配の方が趣味で作っ てる野菜や、田舎の小さい無人販売所や、農家さんがB級品として安くで販売している新鮮な野菜など。1つ100円もしないような野菜をぐるっと回って来て 数万円分をセルシオのトランクや後部座席に入る分購入して来ました。
そして、言いました。

「この野菜を購入してきた金額でそのまま店頭で売りなさい」

と…え?自分はこれまで粗利や損益分岐点など利益の出し方について徹底して社長に厳しく言われてきました。1つの商品を仕入れる時は必ず2社以上の 問屋を天秤にかけて仕入れなさいとか、それが、利益率0%で販売しろとはどう言うことでしょうか??←もちろん社長には言えませんけど。
まあ、理解は出来なかったですが、とりあえず店頭前にコーナーを作って販売することにしました。(ちなみに当時一日約2,000人くらい来店があったので 店頭前も常にそこそこ賑わってました)簡易な商品棚を作り、商品を並べ始めると、お客さんがわんさかわんさ集まり始め、棚に並べ終わる頃にはほとんどの商 品が売り切れてしまいました。
いやいやいや、想像以上にスゴイ!これが初めて体験した朝採れ野菜のインパクトでした。

その後は、言うまでもなく毎日、社長と朝の朝礼終了後に1~2時間ほど周辺を回って、無人販売所や個人販売所巡りです。目利きの社長が良いと思った 野菜は全て買い占めていきます。ここからここまで全部ちょうだい!みたいな感じです。自分は野菜のことがそんなに詳しくなかったのでただ付いて行くだけで した。後の話になりますが、季節によってはタケノコを採りに行ったり、松茸採りに行ったりもしました。

仕入れて来た新鮮な野菜を店頭に並べる→新鮮で安いからあっという間に売り切れる。を繰り返していくうちに不思議な現象が起こって来ました。ホーム センターは園芸品や農業資材なども販売していますので、それらを買いに来ていた農家の方達が「うちの野菜も置いてくれ」と変化し始めたのです。まさに、 「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」…いや、ちょっと例え方は違いますが、とにかく生産者の方たちは、「お!ホームセンターの店頭でも野菜が売れるんだ」と 感じてくれたみたいで続々と出品依頼が増えてきました。
ここまで来るのに約1年。しかし、そうなってくれば、勢いはすごいです。たかが、1品100円と侮るなかれ、野菜コーナーだけで日に30万ほど販売するほどの人気部門になりました。

もちろん、専用の担当者も付けました。ここで重要なのは、最初に付けた専任担当者ではなく、花や野菜について詳しい野菜売場専用の担当者を付けたこ とが後に大きな効果を上げました。専用の担当者は、(実はシルバー人材センターから引き抜いた)徹底して新鮮な野菜にこだわってくれました。少しでも古く なった野菜などや値段に合わない商品は排除していき。お客さんからの野菜の調理法や、保存の仕方などをしっかりアドバイスしてくれるマネージャー的存在に 徹してくれたことが野菜コーナー全体の信用度を上げる重要なポイントとなってくれました。

驚くことに、2年目の決算が終わる頃には、年商1億くらいの売上を上げる部門に育ちました。さらに、野菜を作ってお客さんに美味しいと言ってもらう ことが楽しみ!と言うご年配(生産者)の方が増えてきて、ホームセンターの農業資材部門の売上も大きく伸びてきました。もちろん、新鮮野菜目当てに来られ るお客さんも増えて店全体的に売上の底上げにつながってきました。

その時、社長が言いました。

「商売は最初から儲けようと思ったらダメだよ。結果は後から付いてくるから」

もう、その言葉を聞いたときは、カーネギーやナポレオンヒル並みの言葉の重みを感じました。もちろん、今でもその言葉は自分の中で最も重要な項目として定めています。
それから、数年後、社長は夢半ばで他界してしまいました。より大きな直売所を作って行くことが夢でしたが、今ではもうあちこちに野菜の直売所が出来たので 満足していると思います。社長が亡くなる同時に、朝礼後の無人直売所や個人直売所廻りは無くなりました。通りかかった時に一人で立ち寄ったことがあります が、みんな口を揃えて「あんたんとこの社長には感謝している」と言ってくれます。思えば、この時間にいろんなことを体を張って教えてもらったなと今更なが ら感謝しています。

それから数年、今、まさに自分が、新しい試練(チャレンジ)をさせてもらっています。まだまだ、半人前ですが学びながら頑張っていきたいと思います!