[みんな楽しくHappy♡がいい♪]肥田舜太郎10/1沖縄講演(内容全て文字起こし)


村岡です。

肥田先生の思いがひしひしと感じられる講演です。ブログの方が全文を書き起こしして下さっていますので、宜しければお読み下さい。

————————————————————————-
肥田舜太郎氏10/1沖縄講演(内容全て文字起こし)

転載元)みんな楽しくHappy♡がいい♪

肥田舜太郎先生の20112年10月1日沖縄での講演です。
一言一言を大切に書き出しました。
1時間位ありますので、文章にするととても長いのですが、
分割せずに一つのブログで一度に載せることにしました。
どうぞ、ゆっくりとお声を聞きながらお読みください。

肥田舜太郎講演会@沖縄

————————————————————————-
《長文の一部を抜粋》→全文はこちら

沢山の被ばく者が、今はもう75から80になる人たちが
かつて自分がこんな身体になったのはあの原爆に遭ったことが原因だと確信を持っている、本人は。
ところが政府の方はアメリカの言う通り、
「内部被ばくを受けた被ばく者には放射線の病気は起きない」という考えをもって、
被爆者援護法という中で決められた、法律で決めた援護を全部そういう患者に断ってきたんです。

それからはしょっちゅう裁判をしました。

大阪の裁判で初めて、当日広島にはいなかった。大阪に行っていた。
あるいは3日間は福岡にいたと。
原爆は全然浴びていないと。
家族が心配で焼け跡に帰って、行方の分からない家族を探して焼跡を1週間2週間歩いたと、
それが原因で身体の具合が悪くなったと。
それは内部被ばく以外に原因は無い。
それを全部政府は原発とは関係ないと言って、法律で決めた補償を全部断った。

それと争って私たちは勝ちました。

やはり人間が生きてのたうちまわって苦しんで死んでいく、
一つ一つの経過を詳しくしゃべることで、
裁判官は私が相手をして厚生省の側の証人が出ます。
どこどこの大学の何とか博士というのが出てきて、
アメリカに留学してアメリカで教わってきた放射線被害を滔々(とうとう)と述べます。
そして「この患者は放射線の影響も何にもない」「全然関係ない」ということを証言する。
それと対で論争をしながら私が勝ちました。

それは医学で戦ったんじゃなしに、
人間が苦しみの中でもがいて死んでいくその具体的な事実を、
3年、5年、8年にわたった経過を諄々としゃべる。

それを聞いた裁判官はアメリカで習った放射線の理論をぺらぺらしゃべる博士よりも、
救う事が出来ないで涙を流しながら、その例に詫びながら、
その人の命の終わっていく様を具体的にしゃべった私の証言の法を裁判官は取りあげたんです。

今、福島で被ばくをしている人達は全部内部被ばくです。
あの人たちが何にも知らない所へ、あそこから洩らされてきた放射線が風に乗って
彼らの身体の中に水を通じたり、呼吸を通じたり、あるいは野菜をつまんで食べたことを通じて、
体内に入った放射性物質が時間をかけてじわじわと、あの人たちの身体を中から壊していく。
今その途中にいます。

最初は子どもが先にやられます。
大人は何でもなくても、まず子供が被害を受ける。
下痢が続く、鼻血が止まらない、口の中が荒れて口内炎がだいぶ続く。
そういう状態が福島で起こり、それが埼玉で起こり、静岡で起こり、山梨で起こり、
だんだん関東から関西へ広がっていく。

今、日本中を私はしゃべって歩いていますが、
あそこの放射線の影響がまだ全然来ていないという場所は日本にはもうありません。

専門家と称する人達は「逃れる道はあそこから出来るだけ遠くへ引っ越せ」
それと「食べるものと飲むものを絶対汚染が無いという事を確かめて食べろ」
もっともらしい事を言っています。

そういう事が出来る人が、じゃあ何人いますか?

あそこで先祖から住みついて、農業をやり漁業をやり、そこでしか収入の道が無い。
家族を養う道が無いという人が放射線の影響のために九州の遠い親せきにやっかい行って、
そこで親子4人で生活するなんていう事ができますか?
「出来ない人をどうするか」が一番だいじなことで、
それを「遠くに逃げれば大丈夫」「汚染されていないものを食べれば大丈夫」
それで専門家と称して威張って皆にしゃべる。

人殺しですよこれは。

人間の命を考える気が全然いない。
残った人はどうなる。

全文はこちら